京都三大祭のひとつ、葵祭というのがあり、祭列隊員として参加してきました。
京都にある大学では祭列隊員バイトの募集があって、希望者は申し出れば参加できます。平日でしたが、五月晴れのとてもいい天気で、沿道には10万人もの人出だったらしいです。
葵祭は、平安貴族の格好をした人がお宮参りに歩いて行く、という、ただそれだけの祭りなんですが、この葵祭のいい所は、だてに1400年前からあるだけあって、祭りの世界観が神事としてとても色濃く統一されていること。ただの仮装行列ではなく、神事を行うための行列であって、フタバアオイの葉を全員が身につけて、厳かにしずしずと歩いていく姿がとても美しい。御所(都の中心)から上賀茂神社(鄙、山の方)へと向かっていくというその方向性も、神聖な領域へ向かうという奥行きがある。
もうひとつの見所は、一行が、緑の多い場所を通っていくということだと思う。普通の街中を歩いている時はそんなに特別な雰囲気もへったくれもないけれど、自然あふれる光景の中を歩いていく様は壮観。賀茂川沿いの緑でおおわれた街道を華やかな衣装でゆっくり歩いていくのも、また、遠くに山を見ながら、一行が橋を渡っていくのにしても、とにかく背景の自然と祭列の煌びやかさとが絡み合っていて、それはそれは、大変美しかった。「京都ならでは」という言葉は安易に使いたくないんですが、ああいう貴族趣味と、だだっ広い緑多き自然とが渾然一体となって美を奏でる、というのは、たしかに京都の伝統の大きな特徴だと思わされました。
それをただ見るだけでなく、内部から体験できるというのは、またとない経験でした。葵祭に毎年命を懸けて参加してるおじちゃんとか、このために牛を訓練してきたおっちゃんとかの話を直に聞けたのも、非常に面白い。
祭りって、地元の人の自己満足、というイメージが強かったのですが、
でも実際は、本当に様々な人が見て楽しんでいました。観光客、外国人、幼稚園児、老人ホームに住んでる高齢者、大学生集団・・・など、全く「地元の人」が自作自演で楽しんでいるだけのものではなかった。ああ、そうか、こういう祭りっていろんな人のためにあるんやな、と思わされ、こちらも嬉しくなりました。地縁的共同社会の崩壊から「祭りの形骸化」なんて言われるけど、少なくとも葵祭ほどの大きな祭りは、祭りとしての意義を十二分に持ってるなと。
今回の自分の役目は、本物の牛が引く「牛車」について、引っ張ったり押したり方向を変えたりする人。肉体労働としても結構疲れたし、突然のウンコテロがあったり牛のストライキがあったりと、なかなか大変だったけど、十二分に楽しかったです。みんなから見られて写真を撮られるってのは、テンションあがるね。ちょっとした優越感。くせになりそうです。
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