2004年06月30日

軽量級選手権−遠征初日

朝6時に戸田出発で、いざ長良川へ。途中ずっとバケツをひっくり返したような雨と雷が続き、視界の全くきかない中で事故った車を何台も見た。でも浜松を過ぎるとカラっと晴れた。なんとか長良川到着。

長良川は広い。荒川の川幅の2.5倍はあるんじゃないか。あまり透き通ってはいないけど、エメラルドグリーンのようなきれいな色をしている。水が重い気がしたが、人によって感覚は違うらしい。まぁこんなもんだろう。夜は温泉に行った。周囲は田んぼばかりだが、なんか遠くに来た気がしない。ボートという日常はそのままだからなぁ。
posted by かっしー at 20:22| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ボート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月28日

「信じる」論

 人が何かを信じる時、理由や根拠があって「信じる」に足ると思うから信じるのではない。とりたてて理由や根拠などない。ただ、純粋に、根拠なく、でも心のそこから、信じる。わき目を振らず、その価値などたいして吟味しない。たとえば、誰か他人を「信じる」時、「なぜあなたはその人を信じられるのか」と聞かれても、はっきりとは言葉で説明できないだろう。神の存在を信じている人に「なぜ神はいるのですか」と聞いても、「いや、神はいるんだよ」という答えにならない答えで終わってしまいがちなように。信じるというのは、そんな盲目性がある。

 考えてみれば、それは「前近代的」と言えるかもしれない。理屈のない信念なんて、合理的でない。社会全体として神や仏が信じられていた時代に比べて、現代という時代には「信じる」力は弱い。日本だけでなく世界的に宗教の力は昔に比べて衰退してきているし、「神は死んだ」とニーチェが言ったように、宗教だけでなく社会の共同体の根本的基盤となるものが崩れている。他人との付き合いも疎遠がちである。もはやかつて信じられてきた人間の普遍性や人権、絶対的尊厳なども疑わしい。もう「信じる」なんて古めかしい、価値のないことなのだろうか。

 しかし自分は、信じることは非常に尊いことだと思う。
 何かを信じることができないと、努力できない。これは僕自身が痛烈に感じることである。夢や目標でもいい。他人の幸せでもいい。そのために「えいやこら」と自分を投企させられるような力強さを、「信じる」力は持っている。わき目を振らず、ただ一点を見てその目標に突き進む姿勢は、ある種の危険性はあるけれども、爆発的なエネルギーとなってそれ相応の成果を生み出す。

 これは僕が受験勉強をやっている時に感じたことだ。入試なんてしょせん水物で、本番の出来は日ごろの努力に保障されないことも多々ある。しかし、だからといって、努力しないで合格しようという考えは甘い。「努力すれば報われる」とは思わない。しかし、「信じれば報われる」とただ純粋に信じ込むことで、報われることは多いだろう。だから、受験生を前にアドバイスする時には「努力は絶対報われるから」と言い聞かせる。それでもしダメだったら……なんて考えない。実際に報われなかった時は落胆は激しいだろうが、努力してきた足跡を見れば、努力の成果は自分のものとして確実にあるのだから。でもそんなことは終わってみてから考えればいいのである。

 そして、このことはスポーツにおいても痛感する。「勝ち」を盲目的に信じた者が、勝つ。それに向かって一直線に突き進むことはものすごい精神力がいる。けれども、それ相応の成果は確実にあるのだと信じることが、大事なのだ。ボートで言えば、レースで相手が見えないほど離されても、しかしまだ、勝ちを信じて漕ぎ続ける。ボートにこんな言葉があった。「たとえ全力で漕いだ一本が泡となって消えようとも、流した汗と、かけた情熱は、ポンドの底に永遠の生き続けるものと信じる」

 信じることは、美しい。
posted by かっしー at 09:28| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月17日

最近のお気に入りな人

「浅羽通明」という人の本がおもしろい。『大学で何を学ぶか』『教養論ノート』『野望としての教養』など立て続けに読んでしまった。論旨がとてもシャープ&ハングリーな感じ。あらゆるジャンルのことを自分の論旨にまとめこむ力がすごい。『大学で何を学ぶか』は文庫にもなっているし、オススメします。

ゼミのおかげで、大量の文献をスキャンしながらスパスパと論点を探していく力がついてきた気がするなぁ。いや、おもしろい本はじっくり読んでるけれども。なんせ時間がないもんで。
posted by かっしー at 15:09| 東京 🌁 | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月14日

ボートの醍醐味を考える

 ボートの話をしよう。

 自分は今、4人乗りで一人2本のオールを持つ「クオドルプル」という種類の船に乗っている。7月初めに長良川で開催される軽量級選手権に向けて練習している。クルーは全員同じ学年。コックスはなし。目標タイムを設定してなんとか艇速を伸ばそうとあれこれと試行錯誤しているわけだが、これが非常にわからんもんで。ボートというのは単純かつ連続運動であり、1本のオールの漕ぎ方が何百本も積み重なってレースになりタイムにつながるのだから、(もちろんレース展開など他の要素もあるが)結局はT本の漕ぎにほとんど全てが集約される。それがとても緻密。体のひとつひとつの動き、少しの筋肉の張り方、イメージの持ち方。いかにタイミングよくかっこいいシュートやアシストをするかではなく、自分自身がある一定の時間内にどれだけ正確な動きを保てるか。

 「艇速」という要素に全てが還元される単純さ。かつ、非常に些細な動きやイメージまで考えなければいけない繊細さ。はっきり言ってこれは地味ですよ。でも、ボートの醍醐味ってここだと思う。単純だからこそ、信じられる。繊細だからこそ、ただ猛進すればいいわけじゃなくて、非常にスリリングなものとなる。もがく。さらには、T人乗りでなくて2人4人8人乗りの艇に乗ると、自分と他のクルーとの動きを合わせるという面白さも加わってくる。ボートは非常に難しいけれど、軽量級まであと2週間半。もがくか。
posted by かっしー at 12:59| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ボート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月11日

うむむ

「正しく生きるには考えることだ。
 幸せに生きるのは、信じることだ。」

ニーチェが妹に言った言葉らしいが、深く共感。
posted by かっしー at 12:54| 東京 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月04日

これは自分への挑戦だ。

 あいかわらず切羽詰まりっぱなしの毎日をすごしています。
 今が苦しいのは、自分で苦しめているからなのは解っています。そりゃそうだ、僕は自分で選択しながら生きているんだから。でも、自分自身を、死を超えただだっ広い可能性に放り投げられるからこそ、僕は今生きているんだ。苦しいとかなんて関係なく。ね、ハイデガー先生。可能性は無限。NOTHINGI IS IMPOSSIBLE。
 充実はしてます。でもそろそろキャパを超えて、パンクするかもしれません。そうなったら、僕の飛び散った破片を拾ってください、よろしく>ボート部の人々

 こんにゃくにカレーをかけて食べたら、なかなかうまかった。このうまさを糧に明日もがんばろうと思ふ。
posted by かっしー at 16:56| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』

 愛する人の死はとてつもなく悲しい。

 そんなのわかりきったことだ。小説や映画で本当によくあるテーマである。この小説は、始めのTページから、語り手の恋人が死んだんだなと想像させるような文章で始まる。遺骨を撒くというのはなかなか印象的だったが、それ以外にたいしてユニークなエピソードもない。愛する人が死ぬ。その悲しさに直球をぶつけるような小説だ。

 はっきり言って、僕にはそんなにおもしろくなかった。もちろんアキが死んで悲しかったし、恋人同士の会話はほほえましかったけれども、そこまで感情を揺さぶれるような描写には出会わなかったし、なんて陳腐なテーマだと興ざめしていた。第一、ずるいと思うのだ。物語に「死」が出てくると、読んでいる誰にとっても、ものすごいリアリティがある。何であれ(「タッチ」であれ「あすなろ白書」であれ「ビューティフル・ライフ」であれ)、ストーリーの中心にいた誰かが死ぬと、それまで恋だの不和だのへちまだのといった問題に一喜一憂していたのが一気に吹き飛ばされるほどの、圧倒的な深刻さ、重大さがある。誰にだって重いし、悲しい。それを全面に出してきて、「悲しいよね」なんて、あたり前だとしか思えない。

 ただ、この小説が、ほかの「死」に直球の小説と比べて特異に思うところは、そこまで重さがないのだ。死への悲しみのあまり絶望を見たりしない。「ロミオとジュリエット」のような派手派手しい悲壮感は全くない。重いカタルシスとは全く違う、ある種、爽快感とも言えようか。全てが、悲しみの当事者によって静かに、淡々と語られる。風のようにすうっと過ぎ去っていく悲しさがある。「風」という言葉は、なかなかこの小説に合うかもしれない、と今思った。遺骨が風に飛ばされるシーンにしても、「風」は印象的だった。「風」のように涼やかな、それゆえに心全体を吹き流すようで、どこかふっきれた開放感もあって、美しかった。同じ「風」はもう二度と戻ってこない。一連の恋の話も、もう絶対に戻ってこない。でも、どこかで空気の循環があって、さっきの風と今の風はどことなくつながっている。周りめぐっている。風に吹かれていった遺骨も、大地に吸収されて循環する。そのすごく大きなスケールでの循環が、「死」の絶対的な終焉としての悲しみをふわっと軽くさせている。朔太郎の気持ちも止まらずに動き出している。それが心地よい。

 しかしなぜ、今この小説が世間でこんなにも受けたのか。純愛の流行なのだろうか。それもあるかもしれないが、僕がひとつ思うのは、装丁の良さだ。曇りがかった夕暮れ時の、都会の空の写真が表紙になっていて、思わず目を引く。すっきりとしない曇り空が、どこか奥ゆかしくて、悲しくて、もの言いたげな感じに見えてくる。そして「泣きながら、一気に読みました」という柴咲コウのコメントが真っ青な帯に大きく書かれていて、つい手を取ってしまう。口コミが大事とされる今、批評じみた堅い一言よりも、身近な人がふと漏らした感想のような、単純な一言の方が、読む人の心を誘うのだろう。「重さがない」と指摘した点も、人気の理由に挙げられるかもしれない。真に心を動かされるものが少なくなったために、世の中みんな感情に飢えているのではないか。思い切り泣きたいし、笑いたい。でもどっぷりカタルシスに浸るほどの体力もエネルギーもない。そういう時に、さわやかに、しかし悲壮なストーリーを軽く味わえるこの小説は、その役割を発揮したのかもしれない。
posted by かっしー at 16:37| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月03日

東大権威が失墜する――?

 こないだ玉井ゼミでやった、法科大学院の話を書こうと思う。
 司法制度改革の大きな目玉として今年から軌道に乗り出した法科大学院構想だが、あまりうまくいってないようである。そもそも法科大学院は、試験一辺倒の点の選抜ではなく、2年や3年をかけてプロセスの選抜をするという目的で始められた。しかし、全国の大学がこぞって法科大学院を立ち上げたため、司法試験合格者の3000人よりもずっと多い数の学生が法科大学院に入学した。そのため、法科大学院に入っても卒業時の試験で合格できないという学生があふれかえることが予想される。ある予測データによると、法科大学院での司法合格率は17% ほどになるという。世間では、法科大学院は医者でいう大学6年制教育のようなイメージがあるが、医師国家試験の90%という合格率に比べると格段に低い合格率である。つまり結局は「点」の選抜なのだ。

 ここで話はおもしろくなる。
 法科大学院の行方は世間が注目しているので、ここでの数字はその大学の目玉看板となる。全国の法科大学院は、その少ない合格枠をめぐって熾烈な競争をすることが予想される。特に私立大学の法科大学院は、自分の大学の評判がかかっているから、赤字を出してでもたくさんの合格者を出そうと必死に指導する。ところが、今まで日本の大学は研究中心で考えられてきたため、実利的/実践的な教育は不得意な面がある。そこで、民間の予備校と提携したり外部講師を招いたりして、より実のある教育をするかもしれない。優秀な学生を確保するために、入学時の優秀者には学費無償という特待生優遇措置を採るところもあるだろう(これは現に早稲田が実施しているらしい)。
 そして、おもしろいのが、私立大学はそのような取り組みに積極的であるのに対して、国立大学というのはその性格上そのような改革をする機敏さに欠けるというところだ。東大は法科大学院の教員は主に法学部の教授陣らしいが、今までずっとアカデミズムに染まってきた先生方が突然実践的な教育など出来るのだろうか。東大が現行司法試験で合格者数のトップを保っているのは、東大の教育のおかげでなく、学生の質によるものが大きい。受験生はほとんどダブルスクールに通っており、大学の教員の質なんて誰も当てにしていないのだ。また、「東大」というネームバリューや学費の安さなどの魅力があるからといって、優秀な学生が入学してくるとも限らなくなってくるだろう。早稲田などの特待生制度によって、優秀な学生も東大以外に流れ出ている。そのような傾向が続けば、ダントツでT位を保ってきた東大の司法試験合格者数は、法科大学院の登場によって、教育に必死な私大に抜かれるのではないか。そうなると、今まで威張り続けてきた「東大」という権威が大きく崩れることになる。お、これはおもしろいじゃないか。

 わくわくしながら、法科大学院の行方を見守っていきたい。
posted by かっしー at 16:41| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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