2005年08月20日

「西大門刑務所」と反日ナショナリズム

 ソウルの「西大門刑務所歴史館」という所に行った時の印象が強烈だった。

 ここは、1910年以降の日本による朝鮮支配において、日本にさからって独立運動をした人々が捕らえられ、収容されていた刑務所だ。展示品は、日本帝国による占領がいかに残虐なものであったか、ということを強調する数々が並べられている。実際に蝋人形を使った再現風景がたくさんあり、日本人が女性の独立運動家に対して、爪と指との間に細い針を刺して拷問する場面や、血だらけになりながらもなお暴行をされつづける場面など、見ていてゾッとするものばかりだった。死刑場も残されており、薄暗い中にひっそりと絞首の紐がぶらさがっている木造建築は、何よりもリアリティがあった。死刑台は、床が外れる仕掛けになっている。死体はぶら下がった後、下に落とされ、それを回収するための地下室への階段や、外に運ぶための秘密のトンネルなどもあった。

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posted by かっしー at 04:14| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月19日

韓国と日本の近さ

 今回の旅で、韓国は本当に日本と似ていると思った。

 街を歩いていても、(看板がハングルで書かれてあることと、細い路地がたくさんあって、そこが少々キムチ臭いのを除けば)本当に日本の街を歩いているよう。もちろん顔つきとかファッションとかは若干違うけれども。経済的にも両国は似ている。お互い高度成長を遂げたけれども最近は停滞気味、という状況。(そして韓孫人は自国経済の不況について危機感を持ってる人が多かった。やはりIMF統治がよほどインパクトあるものだったのか)。国際的にも、両国は非常に似た立場にある。韓国も日本も、アメリカの軍事下にあってイラクに派兵しながらも、中国・北朝鮮との関係もあり……という状況だ(もちろん、韓国には「徴兵制」という大きな特徴はあるが)。そして、話す時のノリが似ている。英語で話していても、韓国語は日本語と語順が同じだから、英語の下手さ加減が日本人のそれとそっくりで、意味をくみ取りやすい。間の取り方、冗談、抑揚の付け方なども同じで、なんというか、すごく話しやすかった。これで言葉が隔たりなく話せたらなぁ、と何度も思った。だから帰ってきてからハングルを勉強し始めた。行く前にもっと勉強しとけばよかったけど、次に行く時に、がんばってもっといろいろ話したい。

 韓国人と、本当にいろいろなことを話した。中でも印象に残っているのは、むこうの武道をやっている韓国人がいて、禅の話から、無、空、気のことなどについて深夜まで話したことだ。彼は英語ができなかったけど、わりと英語ができる韓孫人の友達を間において、がんばって意思疎通をした。僕は茶道をやっているので、禅と茶道は精神的にも歴史的にも深い関係にあることを説明したら、彼からは格闘技の「気」について、実技も含めていろいろ教えてくれた。僕は武術についてはあまり詳しくなかったけれど、「無」という精神性の問題を共有でき、近い所に住む人間同士の文化のつながりを深く感じた夜だった。

 2日目の朝飯を食べた後に、元気なやつらであつまって、サッカー日韓戦をした。結果は2対1で日本の勝ち!やっぱスポーツはすごいな。一瞬にして仲良くなった。
posted by かっしー at 17:24| 東京 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月14日

帰国しました

韓国YMCA主催の「日韓共同未来プロジェクト」に参加してきました。日本・韓国それぞれ40人ほど集まり、ソウルから車で1時間ほどの田舎の大学寮に滞在して、様々なディスカッションや文化交流をしてきました。1週間しかなかったけれど、とても仲良くなりました。「差別」「貧困」「暴力」「生命」という4グループに分かれ、僕は「差別」グループで主に外国人労働者や障害者の実態を勉強してきました。実際に活動団体の方の話を聞いたり、フィールドワークにも行ったりと非常に密度の濃いプログラムでした。というか、毎晩朝から夜11時までみっちりプログラムが入っていて、もう最後の方はみんなへとへとで大変でした。

なによりも、同世代の韓国の人と仲良くなれたのがよかった。お互い英語もままならず、コミュニケーションは大変でしたが、本当に様々なことを話してきました。イラク派兵、歴史教科書問題、靖国神社、慰安婦問題、差別問題、ネット事情、勉強、大学生活、恋愛、フリーター問題、徴兵制、北朝鮮、村上春樹、日本の漫画、禅の無と空について、両国の経済について、などなど。楽しかったー 思ったことを、また別エントリーでいろいろ書いていきたいと思います。
posted by かっしー at 13:24| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月03日

韓国に行ってきます

 明後日から12日まで、韓国に行ってきます。

 僕の寮のYMCA関連のスタディツアーで、旅費はなんとほぼ全額タダです(どうやら韓国政府からお金が出ているらしい)。そのかわり自由時間はほとんどなくて、ソウルからバスで1時間ほどの街の大学寮で、現地の学生とディスカッションばっかりのプログラムです。向こうの学生と仲良くなってこようと思います。最近はそれにそなえてハングルをちょっと勉強しています。

 こないだ事前勉強会というのがあって、水道橋にある韓国YMCAに行ったのですが、この旅行の主催は韓国側なので、かなり韓国サイドの発言が主流を占めることがわかりました。なんというか、暗黙の言論の統制というか、ファシズム的なものを感じます。どうも僕は発言しにくいなぁ…… 旅行中にサッカーの日韓戦があるところも気になるところです。どちらかが大敗でもしたら、次の日の朝に気まずい雰囲気になるのでしょうか。なにはともあれ、楽しみです。

 では、アンニョイ ゲシプシオ!(行ってきます)
posted by かっしー at 13:45| 東京 ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月02日

小笹芳央という人

 リンク&モチベーションという会社の社長である「小笹芳央」という人の話を聞く機会があって、おもしろかったので、メモ。

・「i-company」(自分自身がひとつの株式会社である)という考え方。つまり、経営に必要な用語をすべて自分自身のライフ設計に当てはめることができる。これによって自分自身をより明確に把握することができる。

・会社と個人双方がお互いを縛りつける感じだったのが、お互いがお互いを利用する自由な関係になりつつある。そういう時に「i-company」として自分を鍛え上げておけ。

・他人を動かすより、まず自分が動け。自分が変わる方が楽だ(隣の人の握っている手を無理矢理開こうとしても開かない。他人を動かすのは難しい。)

・「換えられるもの」にエネルギーを注げ。換えられない・無駄なものにエネルギーを注ぎ込んでもしょうがない。

(感想)
この人、普通のおっさんぽくて非常によかった。話し方もすばらしく、聴いている人にどんどん話しかけたり、簡単なゲームをさせたりと、全く飽きさせない。わかりやすいし、話の内容も濃い。特に「i-company」という考え方は非常におもしろく感じた。もやもやしていたものにガツンとスローガンを与えられた気分だった。

 でも、ひとつだけささやかに反論したことがある。「換えられるもの」にエネルギーを注げ、という話の中で、小笹さんはこんな具体例を挙げた。「エレベーターを待っている時に、その隣で、エレベーターを待ちきれず、もう既に押してあるボタンを何度も押してしまうおじさんがいることがある。そんな行為は、コンサル的に嫌みっぽく言えば、全く生産性に結びつかない無駄な行為で、ただ突き指のリスクがあるだけです(笑)」と言っていたのだが、僕はむしろ、こういう行為は決して全く無駄ではないと思うのだ。というのも、たしかに形ある生産性に結びつかないのはその通りであるけれども、そんな風にボタンを連打してしまったおじさんは、実は「ボタンを押すこと」を純粋に楽しんでいるのではないか。ボタンを押すことは、子どもがよくやりたがるように、それ自体でなかなか楽しいことだ。おじさんは、そんな子ども心を忘れずに、ただ純粋にボタンを押していただけなのでは。そうやって楽しめるというのは、隣でちょっとイライラしながらそれを横で見ている人よりも、よっぽど人生を楽しんでそうな感じがする。もちろんやるべき事があるのにそういう無駄なことに情熱を燃やしている人は論外だけれども、無駄なことにもいかに情熱を注げられるか、エンターテイメントの種を見つけられるか、というのは、幸せなを感じられる人生を送るために大事な要素だと思う。

 なんか屁理屈っぽいかな。僕はあまのじゃくなのかもしれない。「こうだったら絶対にこうなる」という論理の中で、どこかそれとは違う成り行きの可能性を探してしまう。その可能性は本当にわずかかもしれないけれども、できるだけ無視したくないんだよな。
posted by かっしー at 05:37| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「善」とは何だろう(こないだの続き)

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 前のエントリーでは、とりあえず「人類全体の繁栄と存続が善である」という命題を、疑いなき前提として話を進めました。しかし、この前提は本当に妥当でしょうか。数日経って考えてみると、「人類」などという言葉は大袈裟すぎるように感じます。「今、生きている人間が無事幸せに生きられるということが善である」と言った方がいいかもしれません。そのロジックでいくと、「今生きている人間」というのは瞬間瞬間で更新されていくものであるから、未来にそのための最適な環境を作っていくことは善です。すなわち「人類の存続は善である」というのは内包されます。「無事幸せに生きる」とはどういうことかというと、(非常に抽象的ですが)日常的に死の不安がないような安全な生活のこと、また、自己実現の機会を可能な限り保障されている世界、とでも言えるでしょうか。

 もうひとつ、先の命題で訂正すべきだと思ったのは、人類の「繁栄」という部分です。「繁栄」とは何でしょうか。20世紀までの視点でみれば、人類は永久に発展していくという進歩史観が優勢だったと思いますが、時代が21世紀になり、もうこれ以上あくなき「発展」を追い求めると、人類全体にとって不幸につながりかねないという見方が強くなってきた。「持続可能な開発(sustainable development)」とはそのような考え方でありました。それをもう一度深く見つめてみたいと思います。
posted by かっしー at 04:57| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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