2005年09月22日

巣鴨で御輿を担ぐ

 このまえの日曜日、大塚・巣鴨の商店街で祭りがあった。とある関係で、御輿を担ぐことになった。

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 ちゃんと足袋を履いて、ハッピを来て、手ぬぐいを頭に巻いて御輿を担ぐ。僕にとって、もちろん初めての経験だ。朝9時半から担ぎ始め、神社に行き、そこで神道の神にご挨拶して、神霊を乗せ、地元の商店街に帰ってくる、というコース。終わったのは、なんと夜の7時だった。もちろん途中で休んだり飲んだり食べたりするわけだが、それにしてもたくさん担いだ。本当にへとへとになった。僕は背が高い方なのでずっと腰を低い位置に保たなければならず、足がどんどん痛くなり、肩の皮膚も擦り剥けて、大変だった。でも、「ぇぃさ!ぇぃさ!」とかけ声を続けながら、汗だくになって盛り上がっていくのは、とてもおもしろい体験だった。

 祭りのエネルギーはすさまじい。大の大人が、大勢で熱狂して盛り上がっているのだから、それはそれだけでも壮観である。そういえば、祭りというのはそもそも江戸時代では、その日だけは無礼講、何をやっても許される、という日だった。それには、もちろん性的関係も含んでいたらしい。その日だけ、そういったあらゆる感情を爆発させる。自分を使い果たす。宵越しの金は持たない。今日の祭りでも、やはりそのような「exhaust」させる雰囲気があるし、つべこべ考えずにパァーっと盛り上がる単純な部分がある。

 もうひとつ思ったことは、商店街という文化の俗っぽさだ。商店街のコミュニティは、まさに地縁のシンボルと言える。同じ狭い地域に住む人々は、みんな何十年もの付き合いで、お互いのことをよく知っている。工務店をやっているというおっちゃんは、「金の有りかまでわかっちゃうから怖えんだよ」と言っていた。都会の中に残った、ムラ的共同体社会がここにはある。そして、自営業だからこそ、サラリーマンとは違った自由な気質がある。無機質なマニュアルなんかない。言葉も自由奔放。おばさんも、威勢のいい、ちょっと下品な言葉で盛り上がる。御輿に対する気合いの入れ方も半端ない。住宅地で育った僕にはあまり縁のなかった、俗っぽい世界だった。

 祭りは、自ら体を動かして参加しないと面白くない。ただ見ているだけよりも自分が参加すると、より一層祭りが楽しくなる。ただ、本当はそこに地縁的結合や日常のルーティーンというようなものがあると、よりさらに心の底から爆発させることができるのだろう。僕も、充分に楽しめたけど、やっぱり地元商店街の人のテンションはどこか違った。僕が担いでいる御輿の横で、だみ声で叫びながら飛び跳ねて盛り上げているおばちゃんなどを見て、そう感じさせられてしまった。
posted by かっしー at 16:18| 東京 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月21日

学校バトン

Mixi経由で、初めて「バトン」なるものが回ってきました。

♪質問1:小・中・高の中で1番、思い出深い時期は?

高校。
自分の過去を美化するのは恥ずかしいけど、たまに高校に行ったりすると、古き良き思い出に浸ってしまう。

♪質問2:一番お世話になった先生は?

小学校1,2年の担任だった内山由美子先生。
国語の教科書を音読していて、感動して泣き出しちゃったりとか、授業参観のためにミュージカルを作ったりとか、僕ら子どもと一緒になって遊んでくれた先生でした。あーなつかしいな。先生はもうそろそろ定年だな。手紙でも書いてみようかな。

♪質問3:得意だった科目は ?

音楽、美術。

♪質問4:では、苦手な科目は ?

うーん、何だろう。
特別得意ではなかったのをひとつ挙げれば、体育かな。いたって普通の運動神経でした。

♪質問5:思い出に残った学校行事を3つあげてください。

1,高校の記念祭。
有志の仲間と、演劇を作ったり、オーケストラの指揮をしたり、クラスで映画を作りました。どれも問題多発でとても大変だったけれど、とてもいい思い出です。

2,中学の合唱コンクール。
うちの中学は3月に合唱コンがあった。3年生は、受験を乗り越えて卒業に盛り上がっていく時だから、とても熱が入っていた。卒業式の後に、担任の先生のために歌ったりしたな。なつかしい。

3,学校行事ではないけれど、高校の時に友達と金沢へ旅行したのが忘れられないね。
東尋坊で叫んだり、兼六園で変なポーズしたり、雪合戦したり。あの夜に語り合ったことは、直接的にも間接的にも、今の僕に大きな影響を与えていると思う。

♪質問6:学生時代は、クラスではどんなキャラでしたか?

中学では、生徒会とかやってて、とても真面目くんでした。授業中はよく授業を無視して本を読んでました。
高校のときは、忙しキャラ、かな。欲張って何でもやってたから。

♪質問7:学生時代の友達からの呼び名は

小中 → かっち
高大 → かっしー

♪質問8:好きな給食のメニューは

五目あんかけそば。チキンライス。カレーライス。フルーツ白玉。あー、何でも好きでした。姉が栄養士をやっていて、給食の話をたまに聞くけど、ほんと給食をまた食べたいです。牛乳を飲む時に、よく周りが笑わすのを必至に堪えながら飲んだなぁ。

♪質問9:学生時代に出会った友人は、あなたにとってどんな存在ですか?

大学に入って思うけど、大学での人間関係って基本的に共有する時間が少ないから、あんまりお互いのことを知らないし、「あいつはああだから」と言えない部分がある。でも、やっぱり中高の友達っていうのは、わかるんだよね。自然と気持ちを共有できる。会うと、自分の原点に立ち返らせてくれるし、「おし、おれも頑張る!」という気にさせてくれる存在。

♪質問10:次にバトンを渡す5人

やりたい方、どうぞー
posted by かっしー at 13:38| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | BLOG/ネット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月12日

ひょうたんって、エロいね

200509121158000.jpg

↑友達からもらったひょうたん
posted by かっしー at 18:26| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

選挙って、funnyですね

 わざわざ実家に帰って、選挙に行ってきた。

 選挙っていう行事は、なかなかfunnyだな、と投票所である近所の小学校に行った時に思った。うーん、funny。滑稽? 可笑しい? うん、まさにfunnyとしか言いようがない。どこか笑えてしまう。というのも、同じ地域に住む人が、同じ日に、とことこ歩いてか、自転車かで、えっちらおっちら同じ場所に集まって来るってことが、なんとなく滑稽なんだよね。もちろんその地域の全員ではないけど、今回の場合は約67%は来たということで、かなりの数にのぼる。なんだか、いい年こいた人達が、みんな徒歩かチャリンコで、しかもサンダルとか伸びきったTシャツを着て、わらわらと小学校や中学校に集まってきて、真面目に「衆議院」とか「最高裁判所裁判官国民審査」とかいう投票をしている。そんな光景に出くわして、おもわずなぜかプッと吹き出してしまったわけです。

 普段はお互いに干渉せず、全く別のことをしている住民たち。でも、選挙の日だけは拘束される。こういう行事は、他にはない。選挙も、自由参加と言ってしまえば確かに自由参加だが、選挙ほど人々の間には「行かなくては」という思いが強いイベントもない。だからこそ、67%も、どこからともなくわらわらとやってくるわけです。

 このfunnyさはどこから来るのか。たぶんそれは、「政治」と「大衆」という2つの大きな隔たりを感じたからでしょう。極度に単純化された文句の裏に何があるのかを知ろうとせず、自分の身の回りのミクロな生活世界から抜けられない大衆。一方で、単純なコピーをまくし立てて個人を扇動しつつも、マクロでしか物を語れない政治の世界。その両者の、絶対的に埋められない悲しすぎる乖離を、その選挙投票所の光景に感じたのでした。

 そして、もうひとつの原因は、おそらく有権者の「投票しなくては」という義務意識を肌で感じたからだと思います。なぜみんな、投票に行くのか。「一市民の意見を国政に訴えるんだ!」という志をみんな持っているからでしょうか。「ゲームとして、誰が勝つか面白いじゃん」と思ってるからでしょうか。どちらにしても、どこかfunnyです。参政権は、権利であります。義務ではない。しかし、権利の裏返しには必ず義務があります。では、参政権の裏返しの義務とは何なのか。これは自分も本気で考えているのですが、実際はよくわかりません。ただ、「参政権を行使するからには、その裏に隠された義務を果たそう」という意識を、どれだけの人が思っているのか。そういう熱烈な政治意識がある人はごくわずかでしょう。そして、彼らは必至に頑張っても、あんまり深く考えてなくて党首のイメージで投票する他の大多数と一票の価値は同じですから、かれらに埋もれてしまいます。そういうことを考えると、どこか笑えてきてしまったんです。この選挙というイベント自体が、フリ、演技、虚構。まさに「劇場」である気がして。

 そして、そんな批判を頭で考えながらも、やつらと一緒に投票していた俺もfunny、というオチ。
posted by かっしー at 01:28| 東京 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月10日

郵政民営化とネオリベラリズム

・アメリカの経済専門雑誌『ウォールストリート・ジャーナル』2005年8月8日号の記事に「郵政民営化法案は廃案となったが、これは手取りの時期が少し延びたに過ぎない。ほんの少し待てば、われわれは3兆ドルを手に入れることができる」との記述があった。

・アメリカからの対日要望書(アメリカ大使館のHPからダウンロードできる)に、「郵便保険会社・郵貯銀行の政府保有の株式完全売却」などの日本への要望が具体的に書かれている。

僕は一応、郵政民営化は賛成なんですが、民営化するにしても非常に多くの不安を感じています。郵政民営化は、規制緩和して市場経済の競漕原理に委ねるという新自由主義(ネオリベラリズム)の流れです。それが意味するところは、アメリカ的な自由競争社会の到来です。そしてアメリカのファンドは、上記のように、郵貯の巨大マネーを喉から手が出るほど欲しがっています。郵政民営化が「アメリカの言いなりだ」と言えるかはわかりませんが、少なくとも「アメリカ化」していく一環ではあります。

 先日僕が韓国に行って、韓国人と議論し、また韓国のことを勉強する中で感じたのは、韓国は日本よりもより明白にネオリベラリズムに席巻されているということです。大企業はより成長し、街もどんどん近代的に整備されていく一方で、失業率は上昇、貧富の差は拡大、大都市に集中・農村は過疎化していく。社会階層の固定化は必至。日本で最近よく言われる「勝ち組」「負け組」というのもその流れでしょう。うーん、それってどうなのよ。僕は、機会は平等に与えられて、それなりに自由な社会が良い社会だと思っているので、生まれた家が貧しかったから大学には行けない、みたいな固定化された社会には魅力を感じません。ネオリベラリズムは、あくまで強者の論理で進められている。「勝ち組」に都合がいいように社会が動かされている。そこに強い懸念を感じます。

でもですね、この先の見えない世の中で、たとえば郵政民営化に反対して、そのようなネオリベラリズムの流れに逆らうことに、あまり明るい展望を描けないんですよ。情けないことに。これが僕の消極的賛成の理由です。日本の国益を考えれば、自由化して民間が資産運用した方がいいだろうと(なんとなく)思っています。様々なブロガーの意見・分析を読んでいると、どうやら民営化した方がいいらしいことはわかる。ただ、その巨大マネーを引き受けた民間企業というのが、日本企業なのかどうかはわからないし、日本企業に投資するかもわからない。完全に民間に移行した段階で、外資投資企業に丸ごと買収される危険性も十分にある。投資会社のゴールドマン・サックスは、郵政民営化を意識してか、新しく8000億円の投資ファンドを立ち上げたらしい。むしろそういう危険性はかなり高いのでは……と思うと、かなり怖い。

要は、僕が言いたいのは、僕は諸手を挙げて郵政民営化に賛成するわけではないこと。とりあえず、世界中で起こっているアメリカ化の強い流れには逆らえなそうだ…という諦念と、それとは別のビジョンを自分で描けないもどかしさが猛烈にあること。そういうことです。
posted by かっしー at 04:44| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(2) | 語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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