2005年11月30日

茂木健一郎の講演会

今をときめく脳科学者、茂木健一郎が駒場で講演会をしていたので、途 中からだったが行ってきた。なかなか面白かったので、以下メモ。

・クオリア(quolia)……数字や文字では表せない、ある脳の信号。人はquoliaにプレミアムを認め、それなりの金を払う。高級ワインには高級ワインにしかないquoliaがある。

・偶有性(contingency)……半ば予想はつくけれど、半分は予想がつかない状態のもの。人間はこれに最も興奮する。現代を表す大きなキーワードらしい。

・脳の中では、記憶したものは引き出しのように入っているわけではない。長期記憶から長期記憶へと、頭の中で常に編集作業が行われている。

・「創造することは思い出すことに似ている」(by ある数学者)
 パスツールは、煮沸した水の中からは微生物は生まれないことを発見。
 創造性に関しても同じ。何もないところから生まれない。
 創造するとは、過去を思い出す作業。
 知っているけどあれなんだっけな…という感覚(feeling of knowing)に近い。

・ダニエル・カールマン(2002年のノーベル経済学賞受賞者)の行動経済学

・「誰が最初のペンギンになるか」
 ……みなリスクを恐れて飛び込みたくない。
 日本人は、最初のペンギンになるのが下手。

・Bowby:attachment theory
 子供は、大人の提供する安全基地があるからこそ、安心して未知なこ
とへ探索できる。

・文脈依存性ダイナミクス
 さまざまな文脈を空間や時間を切り離して考えることが出来る
  ← ITによる最も大きな変化

・創造性の現場には、多様性が保たれていなければいけない

●感想●
写真で見るだけだと、頭もじゃもじゃだし、なんかイっちゃった学者かと思っていたが、冗談も言うし、ひょうきんなところもあり、表情も豊かで、人間としてとても輝いている人だった。「クオリアを解明することが僕のライフワークだ」と言っている時の顔が一番良かった。
「ライフワーク」という言葉は、かっこいいね。

多様性から創造性は生まれる、とか、不確実性/偶有性の話は、ありきたりのよく言われる話だったが
なぜか、脳科学者に「もう科学的にそうなんだ」と言われると、新鮮な感じもあり、納得させられてしまう。
こういうことは哲学でも非常によく問題にされることだけれど、哲学的に言説を分析するよりも、よっぽど実証できるものとして、より説得力を持って、科学の最前線のことは切り込んでくるんだよな。
すごいよ、茂木さん。
posted by かっしー at 02:19| 東京 ☀| Comment(6) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月03日

秋の夜長に考える

d01.jpg
 人生について深く考える今日この頃。自分の人生をどう組み立てていくか。甘いことは言ってられなくなってきた。これだけは決めていることは、安穏とした日々と、そこに蔓延する怠惰・無気力を打破するために、敢えて自分は苦しい環境へ飛び込むということ。そういえば、そんなことを言ってボート部に飛び込んだ時期もあった。方向性は、与えられるものではない、自分で探すもの。

 まるで打ち合わせをしていたかのように突然「シューカツ」と連呼し始め、無駄に焦りと不安を装い、企業の使う用語をたどたどしく語り出す大学3年生の群衆の前に、自分は、ただ呆然と遠くを見つめるだけ。

 哲学に、意味はない。
 自分は、哲学よりもっと世の中に近いところにいたい。
 でも、哲学は好きなのだ。

 ただ自分の好奇心のままに勉強し、無駄にジェネラリストを志向していた自分は、結局英語もフランス語もドイツ語もトルコ語も韓国語も古代ギリシア語もラテン語も使いこなせず、自信を持って講義できるような学問的内容も伴わないまま、ここまで来てしまった。何にでも好奇心があって、たしかに幅広く物事を知っているが、それらは全て浅はかで、頼りなく、すぐに倒れてしまうものでしかない。

 悲しいかな、もはや「教養」は必要とされない。

 でも、しかし「教養」への憧れは尽きることがない。やはり自分は「教養」を目指す。その志向性はもう自分の本性だから。教養とは何か。それは、あらゆる知が、知恵として、生きるための価値判断となる指針として、深く自分の中に刻み込まれているものである。教養を、生きた糧として、食べていく。そういう生き方をしたい。あわよくば、その教養「で」食べていきたい。それが非常に厳しい道だということはわかっているけども。

 とりあえず、自分の課題は、断片的な知のあり方を、自分の中でシステマティックに再構築することだ。それはあることをひとつ、深く追究していく中で、自ずと達成されていくだろう。

 自分に、自信があった。その自信は、実は虚無であった。虚言であった。「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」にまみれたものだった。『山月記』の李陵のように、ぼくは虎となって暗闇の中に消えていくのか。李陵の悲しい鳴き声が、あちらことらと遠く都会の闇から聞こえる。自分は、裸の、飾らない、ありのままの自分を恐れずに、まず肯定しようと思う。ぼくは虎にはならない。
posted by かっしー at 03:37| 東京 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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