2006年01月23日

NODA・MAP「贋作・罪と罰」

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 野田秀樹の舞台『贋作・罪と罰』を観てきた。(1/21夜@シアターコクーン)

 僕は、よく舞台でもコンサートでもライブでも何でも観に行くが、最近は専ら当日券主義だ。当日に、観たいと思ったその時にパッと行って、当日券で入る。もちろん当日行っても券が手に入らない時もあるし、たまたま当たった席が悪いというリスクは常に伴うが、「観たい時に観る、行きたい時に行く」というその気軽さには換えられない。特に、生でこういうものを体感しに行くためには、ものすごくタフな体力と集中力を要求されるから、1ヶ月以上も前に予約して決めておくのは性に合わないのである。最近分かってきたことは、「当日券は出しません」と発表しているものでも、大きなハコでやる時は、現地に行って交渉すれば出してくれたりもするし、キャンセル待ちで得たチケットは、たまにものすごく良い席だったりする。というわけで、今回も例外に漏れず、雪が降っているから立ち見に並ぶ人も少ないだろうと思い立って、中2階のとても良い立ち見席で観ることができた。

 というわけで、『贋作・罪と罰』。結論から言えば、野田秀樹ってやっぱりすごい。おもしろい。この不思議なカタルシスは何なのだろう。

 まず、いつものごとく、構成で唸らせる。原作通りの帝政ロシア期の老婆殺し事件かと思えば、江戸時代幕末の「ええじゃないか」討幕運動になったり、口先だけの学生運動のパロディに変わったりと、とにかく複数のストーリーがダイナミックに重なっていく。その上、老婆殺しの犯人(松たか子)と殺人を問いつめる刑事(段田安則)との推理サスペンスも緊張感がありつつ、所々で笑いもありつつ、コロコロと2時間があっという間に過ぎていくのだ。

 原作では、ソーニャの献身的な愛と信じる心がラスコーリニコフを動かしていくが、この物語では、無血革命のために奔走する坂本龍馬(古田新太)が英をつき動かしていく。しかし、何が殺人犯の彼を罪の告白に向かわせるか、という最も大事な点は、この舞台では今ひとつよくわからなかった。物語の強引な展開に必死に追いつこうとしておいたら、突然松たか子が慟哭の叫びをあげていた。あそこは決闘のスペクタクルに持っていくのではなく、もっと言葉に重みを持たせながら追ってほしかったと思った。(自分だけかな……)

 「多くの人の幸せのためには、1人の殺人は許せる」という理論・理想を、ひとりで本当に実行に移してしまうラスコーリニコフは、ただ結局は、実行に移した際に倫理的な矛盾をかかえてしまい、理論だけに終わって破綻してしまう。それは彼自身が堪えられなかったのだ。言葉だけで実行しない学生運動の連中どもは、行動に移さないから己の罪も知らないままだが、高邁な理想を実現しようと純粋に行動してしまったラスコーリニコフは、己の罪を痛烈に引き受け、みずからシベリアへ流刑の道を選ぶ。彼の何が間違っていたのか。何によって破綻したのか。その問いは、おそらく旧ソ連などの共産主義の理想が崩壊した論理と深い所で通じ合っているだろうし、または「イラクの民主化」のために軍事的支配を続けるアメリカの姿にも似ているかもしれない。理想の実現のためには、どんな手段も許されるのか。許されない、許されるべきでないとするなら、その制限は何によって可能なのか。しっかりと、自分の言葉で語れるように、そして、ただ言葉で語るだけではなく実際に走り続けながら、この答えを探し続けたいと思う。
posted by かっしー at 15:00| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(1) | 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
かっしー、お久しぶりです。西の(掛詞)栗原です。

僕も先日大阪にて『贋作・罪と罰』見てきました。
『罪と罰』を舞台にしてみたい、というのは、きっと多くの舞台人が考えたことだろうけど、あんなに見事な舞台に仕上げられるのは野田秀樹だけだろうね。
特に、ラスコーリニコフの親友(名前が出てこない・・・)とソーニャの二人が坂本竜馬に、ラスコーリニコフの母とソーニャの母の二人が三条清に、という風に、巧みに登場人物の数を減らして分かりやすくしているあたり、見事だなぁと感嘆してしまいました。

原作の抱えていた問は恒久的で、永遠に答えは出せないように僕には思えます。
答えの出しようのない問題だから、往々にして、世の中からほったらかしされることが多い。
時間の経過とともに、「もうその問題は済んだこと」という雰囲気になってくる。
本当は何一つ解決していないのに。

だから、こうやって野田秀樹のような傑出した舞台人が、100年以上前に提出された問いを改めて突き付けてくれるのは、すごくありがたいことだと思う。
こういう人がいるから、僕らは考えることを止めないでいられる。
自分たちの抱えている問題に気づくことができる。

舞台後の爽快感もなかなかのものでした。
久しぶりに良い芝居を見たなぁ、と。
パンフレットの中身には憤慨しましたが。

Posted by 栗原 at 2006年03月06日 12:34
くり、やっほー

ラスコーリニコフの親友は「ラズミーヒン」ですね。
こないだまた読み返したら、ゾシーモフ(警官)と
ザメートフ(医者)がごっちゃになってしまいました。
ロシア人の名前は難しいよね。

パンフレットは、僕は買いませんでした。
立ち見でみるようなケチ根性なもので。笑
本当に爽快感があったけれども、その感動は
音楽と演出とセリフの強さで強引に持っていかれた気がして
どうしても僕は「うむむ」と立ち止まってしまいました。
まぁ、ラスコーリニコフに思いっきり共感できるかどうかは
大変難しい問題だとは思うので、クリの言うように
問題を再提起してくれることが大事なのかもしれません。
Posted by かっしー at 2006年03月09日 02:23
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野田秀樹
Excerpt: 野田秀樹
Weblog: アイドル芸能Shop
Tracked: 2006-04-21 00:51
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