2006年06月24日

教師という仕事の「虚しさ」

3週間の教育実習が終了した。
授業を29回もやってみて、一番心に深く印象づけられたことは、
教師という仕事の「虚しさ」だ。

教師は、生徒を前にして、多くのことを教える。しかし、それが生徒の何になるのか、どのような役に立つのか、教えたことによって生徒がどれくらい成果を生み出すのか、ということに関しては、教えている教師は全く分からない。「成果」が確かめられない。もし「成果」があるとしても、(いや、たしかに「成果」はあるはずなのだが)それは非常に長期的に表れてくるものでしかなく、それを自分自身で確認する方法はない。当たり前だが、テストの点や大学受験の結果などは本当の「成果」ではない。テストのために授業しているわけでは決してないからだ。もっと長期的なもの・人生における素養としての知を、いかに体得させられたかという観点で、教育は行われるべきであり、そのような教育を目指す時に、その「成果」を確かめることは、あまりにも困難である。そして、そのように「成果」の見えない中で、毎年毎年、ほぼ同じことを、繰り返し新しい生徒へ教えていく作業が続くのである。そこでのため息、徒労感、虚しさ。そのような空気を、教師側に立ってみて初めて、感じ取ってしまった。

実際、先生方の愚痴を聞いていると、生徒は毎年変われど、毎年同じことの繰り返しによる閉塞感を言葉にする方も多かった。ある先生は「君たちは3週間だけだからいいよな。おれはあと20年だよ…」と言って嘆いていた。これは、教師になってみて初めてわかる視点だった。たしかに、生徒にとっては1回限りの授業でも、先生はその内容を、同じネタで、何百回も話をするのだ。僕は同じ内容を7回授業をしていたのだが、たった7回ではあるけれど、まるで自分が機械になったかのように感じられた。その繰り返しの連続に、教師がどこか単調さを感じてしまうのも当然かもしれない。

成果は見えない。そして、同じ事の繰り返し。
教師の仕事には、そんな「虚しさ」がある。

しかし、それでも僕が、この教育実習を通じて、前よりも一層「教師」という仕事に惹かれてしまったのは、やはり教えるという作業の中に、未来の大きな可能性や夢がつまっているからだろう。

僕のホームルーム担当は3年A組だった。受験勉強と行事の折り合いをつけながら、頑張っている3年生。悩んで、遊んで、精一杯努力していた。その姿を見て、僕は彼らの未来を想像して非常にワクワクさせられたし、彼らの可能性を精一杯伸ばしてやりたくなった。相談に乗ったり、クラスの選手を応援したり、一緒に体を動かしたりしている中で、こちらも大いに励まされた。

授業を持ったのは1年生。高校入って2ヶ月ちょいの彼らに、「憲法と基本的人権」について4回分の授業を受け持った。「基本的人権」の概念を、ぜひとも生きる糧にして欲しい、という思いで授業を行った。「差別でこんなに苦しんでいる人がいる」「僕らは不当に拘束されない権利を持っている」「権利を守るには不断の努力をしなければならない」「大人になるには責任が伴う」「新自由主義改革が進んでいる」………など、彼らに伝えた多くの情報の中で、数年後に覚えていることは本当にわずかかもしれない。でも、そのわずかに、僕は可能性をかけたくなった。未来に、どこかできっと生きてくる。教師は、それを信じる職業なのだ。

未来を信じる職業。かっこいいじゃないか。
自分は今のところ、大学院に進んで研究者になりたいと考えているが、
どのような道に行っても、何かしら「教育」に携わることにはなると思う。
そのような、自分の人生の方向性を感じさせられる体験だった。


この実習が終わって、今まで小・中・高校でお世話になった多くの先生方に、
手紙を書きたくなった。

「教えてくれて、ありがとうございます。
 先生が僕に教えてくれたことは、今、こんなにも役立っていますよ」
posted by かっしー at 21:38| 東京 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お疲れさまです。
僕も塾講師をやっていたとき、未来を信じる職業だと思いました。
アイルランドへ行くのでやめてしまったあとも、
「東山先生って戻ってこないんすか?」
と言ってくれていた生徒がいたようで、すごく嬉しかったです。
Posted by 東山 at 2006年06月24日 22:36
よっ

俺にも、ふと過去を振り返ると思い出される恩師がいる。

未来や可能性にかける情熱やワクワクを感じていない教師は一目でわかるよね。
目も言葉も死んでるもんね。

大学教授はまた別だけど。


むかしむかし世話になって今でも思い出すような先生には、やっぱり一度会っておくべきだよね。
うむ。
会いたい。

今の自分に自信があるわけではないけど、きっと凄く古くて新しい発見もあるかもしれないね。


そうか。

手塩にかけた?生徒が月日が経って自分を訪ねて
来てくれたら。
きっと鹿島の言うとおり「成果」を感じられて、懐かしくて、凄くロマンチックで。

それはそれは無上の喜びなのかもしれないね。
Posted by こんの at 2006年06月24日 23:31
こんにちは。
名前で誰か察してください(笑)
N高生だった時代、自分は生物部にも関わっていて合宿にも参加したけれど、そこでは卒業生の人が来て、いい刺激になって楽しかったです。
今思えばS庭先生自身にとって、自分が見てきた生徒の、一回り育った姿を見る楽しみな行事でもあったのかもしれないなと思いました。
Posted by 粗塩 at 2006年06月25日 09:59
>東山氏
うれしいんだよね。
なんだろう、あれは。
先生って、思い返しても、自分にとって
やっぱりかけがえの無い存在だもんね。
卒業式で泣いてしまう先生の気持ちがわかりました。

>こんの
ノスタルジーに浸ること自体には前進はないけど、
昔の自分を確かめる作業の中で、
新しく古い発見は、たしかにありそうだ。
こんのって、会って話すと早口なのに、
文章では落ち着いてる感じだなぁ。
こんどゆっくり飲もうよ。

>粗塩
誰かと思ったけど、わかったわかった。笑
坂庭先生、なつかしい〜
生物から人生観を学んだわ。
なんかあったら、先生に報告してあげてね。
Posted by かっしー at 2006年06月26日 20:20
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