2005年11月03日

秋の夜長に考える

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 人生について深く考える今日この頃。自分の人生をどう組み立てていくか。甘いことは言ってられなくなってきた。これだけは決めていることは、安穏とした日々と、そこに蔓延する怠惰・無気力を打破するために、敢えて自分は苦しい環境へ飛び込むということ。そういえば、そんなことを言ってボート部に飛び込んだ時期もあった。方向性は、与えられるものではない、自分で探すもの。

 まるで打ち合わせをしていたかのように突然「シューカツ」と連呼し始め、無駄に焦りと不安を装い、企業の使う用語をたどたどしく語り出す大学3年生の群衆の前に、自分は、ただ呆然と遠くを見つめるだけ。

 哲学に、意味はない。
 自分は、哲学よりもっと世の中に近いところにいたい。
 でも、哲学は好きなのだ。

 ただ自分の好奇心のままに勉強し、無駄にジェネラリストを志向していた自分は、結局英語もフランス語もドイツ語もトルコ語も韓国語も古代ギリシア語もラテン語も使いこなせず、自信を持って講義できるような学問的内容も伴わないまま、ここまで来てしまった。何にでも好奇心があって、たしかに幅広く物事を知っているが、それらは全て浅はかで、頼りなく、すぐに倒れてしまうものでしかない。

 悲しいかな、もはや「教養」は必要とされない。

 でも、しかし「教養」への憧れは尽きることがない。やはり自分は「教養」を目指す。その志向性はもう自分の本性だから。教養とは何か。それは、あらゆる知が、知恵として、生きるための価値判断となる指針として、深く自分の中に刻み込まれているものである。教養を、生きた糧として、食べていく。そういう生き方をしたい。あわよくば、その教養「で」食べていきたい。それが非常に厳しい道だということはわかっているけども。

 とりあえず、自分の課題は、断片的な知のあり方を、自分の中でシステマティックに再構築することだ。それはあることをひとつ、深く追究していく中で、自ずと達成されていくだろう。

 自分に、自信があった。その自信は、実は虚無であった。虚言であった。「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」にまみれたものだった。『山月記』の李陵のように、ぼくは虎となって暗闇の中に消えていくのか。李陵の悲しい鳴き声が、あちらことらと遠く都会の闇から聞こえる。自分は、裸の、飾らない、ありのままの自分を恐れずに、まず肯定しようと思う。ぼくは虎にはならない。
posted by かっしー at 03:37| 東京 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ま、色々思うことはあるわな。
昨日俺も池之端行ってきたけど、大学に入学してきたときの勧誘に近いものがあったな。
大事なのはやっぱり周りに流されずに自分がどうありたいかってことをじっくり見つめることじゃないか。
俺には結局ボートなんだけどね。
とりあえず、俺もブログ立ち上げたんで暇なら見て。まったくしょぼいが…。
http://kameblog.at.webry.info/
Posted by かめ at 2005年11月03日 18:08
さすがカメちゃん。
1ヶ月以上更新していなかったのに、すかさずコメントをくれるなんて、素敵すぎます。ありがとう。

ぼくも頑張るよ。
っていうか、今から艇庫行くことになった... orz
ねむい。
Posted by かっしー at 2005年11月03日 22:39
 こんにちは。

> 断片的な知のあり方を、自分の中でシステマティックに再構築すること

 僕の場合,今はまだソナタ形式でいう提示部の時期なのだと思うことによって,十分体系づけられていない現在の自分の精神をある程度肯定しています。これから展開部が来て再現部が来て,現時点ではよく分からない諸主題・諸モチーフ間の連関が何十年後かに見えるようになるだろう,提示部を聴いただけでその楽章の有機的全体を聴衆が把握できるわけがなく,20まで生きただけで自分の人生の有機的全体を私が把握できるわけがない,聴衆は作曲家を信頼し私は神を信頼せよ,と。
 あ,そういう問題ではなかったですか?
Posted by F.Ikeda@第一高等学校は3年制である! at 2006年02月10日 14:38
書き込みありがとう。
うん、そういう問題ではないね。

なぜ僕が人生の選択に迫られているかというと、大学卒業後に、学問の世界からビジネスの領域へと出る可能性も濃厚だからです。学問の世界に留まり続けるなら、僕はF.Ikedaくんのように、関心領域が有機的な連関によって統合されていくことを何十年か後のこととして、わりと気長に待っていると思います。でも、ビジネスの世界へ飛び込むとなると、大きなパラダイムシフトが起こるわけです。何よりも利潤(つまり付加価値)が求められる。それはつまりスピードとスキルが大きくモノを言うということ。哲学なんか必要とされない。プラトンを古典ギリシア語でのんびり読んでいたって、何の役にも立たない。語学だって、ネイティブ並に使える/使えないで切られていく世界。とてもシビアです。でも、その「シビア」さに、最近大きな魅力を感じています。

 まぁ、もっと大きな人生の視点で考えれば、いろんなことが言えるんですけどね。でも、就職することは、ある程度自分の学問的な追究精神に区切りをつけることだと理解していますから、そういう意味で今度「卒論」として今まで自分がやってきたものを体系化させてみたい、という欲求があります。

>第一高等学校は3年生である!
駒場で僕がやっていた作業は、ものすごく広い「学問」という世界の全体像を、ひとつひとつに自分でINDEXをつけるようにしながら把握していくことでした。駒場は好きだったなぁ。
Posted by かっしー at 2006年02月13日 13:29
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