2004年10月05日

お茶を愉しむ

chasen 星岡という割烹の茶事に行ってきた。

 夕去りの茶事という。午後4時から始まり、だんだん薄暗くなっていく中でその光の変化と和蝋燭の明かりを楽しみながら、懐石料理をいただき、中立ちを挟んだあと、濃茶、薄茶と続く。ちょうど十五夜の夜で、中秋の名月という特別な日だった。玄関の書に始まり、床の間や茶道具、掛け軸まで月がいたるところに出てきた。

 行く前に、岡倉天心が海外へ茶道を紹介するために英語で書いた「茶の本(The Book of Tea)」を読み返してみた。その中の「(茶道は)精神の幾何学である、宇宙にたいするわれわれの比例感覚を定義するが故に」(It is moral geometry, inasmuch as it defines our sense of proportion to the universe.)という言葉が印象に残った。天心の言う「精神の幾何学」とは何だろうか。それを考えながらこの茶事に臨んだわけだが、「なるほど、"幾何学"とはよく言ったものだ」と妙に納得させられてしまった。自分なりの解釈はこうだ。「幾何学」と聞くと、三角や四角、円、六角形など、算数や数学でやったような図形を想像する。しかも、それらが重なり合っていて、円の中にそれに接する三角形があったり、六角形の対角線が何本も引かれていたりするような、少し複雑な図形である。そのような数学の問題を自分は幾度となく解いてきたから、幾何学と聞けばそのようなイメージが出てくるのだ。そして、茶道とはまさにそのような重なり合った図形なのである。ひとりひとりが円や三角、四角などの固有な図形を持っていて、それらがせめぎ合い、ときに融和し、点が重なり合ったり線が交わったりして、ひとつの複雑な図形を作り出す。亭主と客の間の緊張感。いつも微妙に動いている図形のいくつかが点と点をひとつの重ね合わせるような、その僅かな気遣い。難しさ。そのバランス。自己主張するもなく、されるもなく、でも”自分がいる”という空気は世界に対して放出されていて、そして他の人の空気も敏感に感じてしまう。そこの研ぎすまされた感性。全てを受け入れてしまうような寛容な心。そういった大きな大きな雰囲気に、言葉を失い、ただその静謐な戦いの場に無心で身を浸しているばかりだった。和蝋燭の揺らめく光、夏虫の音、炭が焚ける響き。自分の心臓の鼓動が、まるで土の下からつながって鳴り響いてくるような感覚であった。

 茶道は好きだ。決して単なるママゴトではない。深さがある。いいお茶を立てて人を迎えられるような人になりたい。
posted by かっしー at 02:50| 東京 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 趣味もろもろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。