2008年05月18日

コスプレして街を練り歩く

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京都三大祭のひとつ、葵祭というのがあり、祭列隊員として参加してきました。

京都にある大学では祭列隊員バイトの募集があって、希望者は申し出れば参加できます。平日でしたが、五月晴れのとてもいい天気で、沿道には10万人もの人出だったらしいです。

葵祭は、平安貴族の格好をした人がお宮参りに歩いて行く、という、ただそれだけの祭りなんですが、この葵祭のいい所は、だてに1400年前からあるだけあって、祭りの世界観が神事としてとても色濃く統一されていること。ただの仮装行列ではなく、神事を行うための行列であって、フタバアオイの葉を全員が身につけて、厳かにしずしずと歩いていく姿がとても美しい。御所(都の中心)から上賀茂神社(鄙、山の方)へと向かっていくというその方向性も、神聖な領域へ向かうという奥行きがある。

もうひとつの見所は、一行が、緑の多い場所を通っていくということだと思う。普通の街中を歩いている時はそんなに特別な雰囲気もへったくれもないけれど、自然あふれる光景の中を歩いていく様は壮観。賀茂川沿いの緑でおおわれた街道を華やかな衣装でゆっくり歩いていくのも、また、遠くに山を見ながら、一行が橋を渡っていくのにしても、とにかく背景の自然と祭列の煌びやかさとが絡み合っていて、それはそれは、大変美しかった。「京都ならでは」という言葉は安易に使いたくないんですが、ああいう貴族趣味と、だだっ広い緑多き自然とが渾然一体となって美を奏でる、というのは、たしかに京都の伝統の大きな特徴だと思わされました。

それをただ見るだけでなく、内部から体験できるというのは、またとない経験でした。葵祭に毎年命を懸けて参加してるおじちゃんとか、このために牛を訓練してきたおっちゃんとかの話を直に聞けたのも、非常に面白い。

祭りって、地元の人の自己満足、というイメージが強かったのですが、
でも実際は、本当に様々な人が見て楽しんでいました。観光客、外国人、幼稚園児、老人ホームに住んでる高齢者、大学生集団・・・など、全く「地元の人」が自作自演で楽しんでいるだけのものではなかった。ああ、そうか、こういう祭りっていろんな人のためにあるんやな、と思わされ、こちらも嬉しくなりました。地縁的共同社会の崩壊から「祭りの形骸化」なんて言われるけど、少なくとも葵祭ほどの大きな祭りは、祭りとしての意義を十二分に持ってるなと。

今回の自分の役目は、本物の牛が引く「牛車」について、引っ張ったり押したり方向を変えたりする人。肉体労働としても結構疲れたし、突然のウンコテロがあったり牛のストライキがあったりと、なかなか大変だったけど、十二分に楽しかったです。みんなから見られて写真を撮られるってのは、テンションあがるね。ちょっとした優越感。くせになりそうです。
posted by かっしー at 01:41| 京都 ☀| Comment(30) | TrackBack(3) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月24日

身の振り決まる。

ここ3ヶ月ほど就職活動しておりましたが、
ようやく決まりました。

来春から、メディア関係の某巨大組織で働きます。
これから斜陽といわれるコンテンツ産業です。
給料や待遇よりも、自分がやりたいことで選びました。
めげずに頑張りたいと思います。

就活を終えてみての感想は、就職活動戦線がいかに欺瞞に満ちているかということ。それを間近で感じつつ、憤慨しながら格闘してきました。「第一志望です」「他を断って御社に行きます」と言っておきながら、他の会社の内定が出たら断るような、嘘八百が跋扈する就活市場。最後まで嘘をつかず、裸のままでぶつかっていくのは、正直とてもしんどかった。平気で嘘をつく学生に唖然とした。完全に正直者が損をするシステムになっていて、問題山積みだと思う。おれはまだ結果が出たからいいものの、嘘をつけなくて落ち続けていく学生はたくさんいるだろうと想像する。

将来、そんな番組をつくろうかな。笑
posted by かっしー at 01:49| 京都 ☀| Comment(17) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月29日

就職活動をしています。

結局、今、就職活動をしています。


え、なんだよ、それ。
と思った方もいるでしょう。
学者の道に行ったんじゃなかったのか?と。


過去を振り返ると、僕は、入学当初から、そもそも学問的興味が強かったので、大学院に行って研究者になろうという気持ちがありました。でも、大学3年の冬に、興味本位で就職活動を始めたところ、そっちが面白くなってきて、就職する気も増してくる。で、春に、いざどっちだと悩んだ末、やはり「もっと勉強したい」という純粋な気持ちから内定を断って、大学院進学を決意(その時の日記はこちらをご覧ください)。再び学者になろうと志し、院から京都大学に鞍替え。これからは政治思想を主軸に、黙々と研究生活を送っていこうと思っていました。

そして、いざ大学院に入学。入ってから、実際に「研究生活」をしてみて初めて、わかること・感じることがありました。

研究者の道を諦めた理由は、いくつかある。

一番大きいのは、正直、自分に向いてない、と思うこと。
学者に向いているのは、誰からも評価や強制がなくても、黙々と自分で本を読んでいってウットリしているような、そういう人間だと思う。考えてみれば当たり前かもしれない。残念ながら、僕はそういう人間ではない。押されて、責任を与えられて、もみくちゃにされて伸びるタイプだ。重圧があって、それに負けないように、苦しんで、苦しんで、悩み抜いてアウトプットを出すタイプだ。だから、あそこまで外的な責任のない世界は耐えられない。社会に必要とされていないことが、耐えられなかった。たとえ今は大丈夫でも、これをあと10年やる覚悟はない、と思った。ゆくゆくは名声を得て社会的責任をもつ立場になるかもしれないが、いま、責任が欲しい、と思った。とにかく僕は、宙ぶらりんで社会的に無所属の状態が、自分には無理だったんだ。それは、自分の弱さでもあると思う。だって、自分で「課題」や「目標」を設定して、責任を自分で自分に課している大学院生も実際にいるのだから。

研究者に「責任」がないというのは、学問の構造上の問題だろう。
学者は、責任を持つべき存在ではない。責任がないからこそ、自由に学問を研究することができる。だから、責任がないことを責めることはできないし、それはただ単に、僕が院進学を決意した際の読みの甘さだった。バカだった。

もちろん、院で本を読みまくったり研究したりするのは楽しいし、人間形成の部分でかなりこの1年思うところがあったから、完全に無駄だった、なんて言うつもりは毛頭ないけども。


というわけで、
就活してます。


3月中旬の1週間、某企業のジョブに行くことになったから、その期間含めて、前後は東京にいます。

とにかく、たくさんの人と会って話がしたい気分です。
もしご都合が合えば、メシでも食いましょう。
ご迷惑おかけしますが、付き合ってやってください。
posted by かっしー at 16:20| 京都 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月25日

近況報告をば

・この春から、京都の大学院修士課程に進学した。
 専門は政治思想。それ以外は何にも決まっていない。

・京都に移り住んで2ヶ月弱。
 東京を離れるのは初めてだったので、いまだにウキウキ旅行気分。

・京都の街は、やはり東京とは違う文化を随所で感じる。
 まだまだ行きたい所に行けていない。「いつでも行ける」と
 思っていると行けないから、思い立ったらすぐ行こう。

・大学院は、すべては自分次第。勉強するのが当たり前。
 ただ、勉強しなくても責任は全くないところが怖い。

・ふと気分が向いたので、筆を執って手紙を書いた。
 4時間くらいかかった。

・東京での交友関係やしがらみからスパッと離れて一新されたので
 わりと自分の時間が多い。いいことだ。

・バイト決まらず、貯金を切り崩しているが、もはや底をつく。
 個人的金融危機。
 
・院の先輩が言っていた「他者なき物には意味がない」という言葉が
 最近よく頭の中を回る。
 今の自分にとって「他者」って何だろうかと考える今日この頃。
posted by かっしー at 02:54| 京都 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月17日

南原繁と8月15日を語る会

8/15の夜に、安田講堂にて行われた「8月15日と南原繁を語る会」に、スタッフとして参加してきた。僕に与えられた任務は、会が始まってからは右翼が乱入して妨害した場合に取り抑えるというものだったが、残念ながら右翼の乱入はありませんでした。でも、看板作ったり誘導したり撤収したりと忙しかった。

南原繁とは、戦後すぐの東大の総長で、専門は政治哲学。戦後すぐの失望した日本人に対して力強いメッセージを放ち、戦後教育制度の構築などに尽力した人だ。この会は、立花隆が『天皇と東大』という連載を終了しての記念イベントだった。ゲストスピーカーが著名人ばかり。大江健三郎、姜尚中、高橋哲也、佐々木毅など、錚々たる顔ぶれだった。以下、自分のためのメモ書き。

さて、肝心の講演会の内容。
特に僕がおもしろい!と思ったのは、次の2点。

・南原繁は「洞窟の哲人」と呼ばれるほど象牙の塔に閉じこもった研究者であったのに、学徒出陣の悲しさを契機に、世に積極的に出て訴えかけていく実践者に変わった、ということ。その学問と社会との距離感、付き合い方がおもしろいと思った。
(ちなみに、学者になる前は内務省で勤務する実務家だったらしい)

・政治学は、理想主義と現実主義の往復運動である、とすれば、南原繁は、理想主義者に位置しながら現実を見る学者だった、ということ。また、「現実を批判するのは現実ではなくて理想である」と大江健三郎が言っていたのが印象的だった。

というわけで、以上、自分のためのメモ書きでした。
ちなみに、この会の模様は1時間に編集して、2−3週間後にNHKBSでやるらしいです。
posted by かっしー at 01:20| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月10日

母校での教育実習

教育実習が1週間終わった。

僕は現代社会という教科の担当で、
「基本的人権」について4コマ分の授業を持つことになっている。
法の下の平等、差別問題、表現の自由、プライバシーの権利など
言うべきことはたくさんある範囲なので、
授業で使えるネタ探しに忙しい。

実習は全部で3週間あるのだが、
ほかの実習生は12コマくらいを担当するのが普通なのに
なぜか僕だけ29コマも授業をしなければならない。
しかも、同じ授業を7回もするという大変な状況。
先生の苦労がわかりました。

理想とするのは、ワークショップのような授業。
上から権威的に教え込むのではなく、
生徒と教師、または生徒同士が、同じ地平で
ともに影響し合いながら、学びを形成したい。
ただ、それを実践するのはとても難しい。
予測していないことにもすぐに対処して
うまくまとめていく力量が求められる。

僕が昨日授業でやったのは
「世の中、何が平等で、何が不平等か」というテーマ。
生徒に、それぞれ自由に挙げてもらった。
金や財産、能力などは人それぞれ違うもので不平等だが、
たとえば、義務教育を受けるなどの権利や機会は
平等に与えられている、と言えるだろう。
そして、「結果」の平等よりも「機会」の平等が
注目されつつある、という話に持っていきたかったのだが、
自由にいろいろ答えを挙げてもらうと、
予想もしなかったものが結構出てきた。

平等ではないもの…… 
真っ先に出てきたのは、「顔のよさ」でした。
さすが、思春期の高校生。
あとは、「性格」とか「テストの点」とか「先生の態度」など
予想外のものがいろいろ出てきてしまい、慌てました。
たしかに平等ではないもんね。
「顔のよさ」まで平等にするのは無理なので、
身体的特徴は、よっぽどの障害がない限り平等にはならない、
というニヒリスティックな話に落ち着いてしまいました。
本当は「機会はみんな平等なんだ!スタートラインは
同じなんだ!」という勢いに持っていきたかったのですが……
甘かったです。

これからこのネタを7回も繰り返す中で
アンケートを参考に、どんどん改良していこうと思います。
なんだかんだいって教育実習は楽しい。
がんばるぞ。
posted by かっしー at 23:06| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月15日

理屈の論理と感情の論理

 僕の友人に、ベジタリアンがいる。彼女はトルコに留学中に、屠殺場で豚が殺される現場を見た以来、肉は食べたくなくなったのだという。肉を食べずに何を食べているかというと、野菜である。肉の代わりに、野菜で栄養分をとり、大豆などで淡泊を補う。それはそれで大変健康な食生活である。ベジタリアンと自称する人達は、基本的に動物の肉は食べない。それは、生き物の命を殺してまで自分の食欲を満たしたり生命を存えさせることは、その人の倫理観に逆らうからである。

 このようなベジタリアンに対して、こう批判する人がいるだろう。「植物も生き物のひとつなのだから、植物を食べている時点で生き物を殺しながらそれを食べていることになるではないか」と。たしかに、植物も生き物である。命を殺して食べていることには変わりはない。ただ、植物まで食べないでいようとするなら、それはもう「よだかの星」になるしかない。そんな人生は選択せずに、大多数のベジタリアンは「動物の肉は食べない」というポリシーを守り通すのである。

 この論理は、どのように説明できるだろうか。
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posted by かっしー at 02:04| 東京 🌁| Comment(10) | TrackBack(1) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月24日

新宿御苑に人を埋めてきた

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埋葬される友人。

墓に弔いの装飾をしたり、周りでぐるぐる踊ったり、いろいろやってみた。本人の希望により、最終的には顔の部分も埋めてみた。1時間ほど埋まっていたが、閉園時間になったので、やむなく甦り。甦りの瞬間はすんごい気持ちよかったらしい。

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いいな、ちょっと埋葬されてみたい。
posted by かっしー at 00:43| 東京 ☀| Comment(5) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月02日

正月に想う

 冬の、凛と引き締まった空気は大好きなのだが、正月の空気は、ストーブで温めすぎた部屋ような、気だるさと漫然な感じが満ちていると思う。それはただ自分が暖かい部屋の中でぬくぬくしていることが多いからなのだが、実家で突然与えられた時間に、家族や親戚と一緒にテレビを見たりおせちを食べたりするだけで、どこか内実がともなわない。締まらない。統一感がない。「めでたい」「おめでとう」と連呼されるけれど、全くめでたさを感じない。何がめでたいのか…と、ひねくれて考えてしまった。

 昔は、今と違って年齢が数え年だったから、正月が全ての人の誕生日だった。1年の一番初め。もっと言えば、昔は日が変わるのは日の出の瞬間だったから、「明けましておめでとう」とは、本当に太陽が明けたからこそ新年になって、自分達の誕生日を祝うという挨拶だった。調べてみたら、「めでたい」は「芽出度い」=芽が出る、からきているそう。旧暦では、今の2月中旬だから、冬ももうすぐ終わりという時期。春の生命の息吹を喜ぶ気持ちも、そこに託したのだろう。

 おそらく、今の日本人には、時間は連綿と続くものだという認識がどこかにあって、昔の人のような「区切り」の感覚が薄いのだろう。去年をしっかりと締めくくり、新しい年の初めに抱負を掲げる。自分を顧みるその精神性の中で、正月を感じてみたいと思う。テレビを漫然と見るのではなく、バーゲンに繰り出すのではなく、たとえば、寒さの中で茶を飲むような、静かにも厳しさのある空気の中で。
posted by かっしー at 15:02| 東京 ☔| Comment(12) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月28日

岡本太郎の一言


「計画を実行したければ、元旦にスタートを置くなんていう
 手ぬるいんじゃなく、毎朝にスタートラインを引くべきだな」

岡本太郎『TAROのひとこと』より
posted by かっしー at 00:59| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月24日

【緊急】ケータイが溺死しました

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昨日、ケータイが溺死しました。

ボート部のレース運営をしていて、水面の上でいろいろやってたら、ポケットからポチャンと落ちた……
あぁ、バカだ……
まぁ今は水底のヘドロにまみれて沈んでいるので、皆様の個人情報流出という心配はないのですが、マメにバックアップを取っていなかったので、僕自身が皆様の情報がわからなくなってしまいました。

つきましては、
これをご覧になった僕とお知り合いの皆様、
僕のメールに、名前と番号とアドレスを
送っていただけると幸いです!

Aidez-moi!
posted by かっしー at 12:52| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月23日

LMIのインターンシップを終えて

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 3日間、リンクアンドモチベーションという人材系コンサルティング会社のインターンシップに参加した。

 そもそもビジネスの色濃い世界には進みそうもない自分がなぜインターンシップに参加したのかと言えば、自分のフィールドとは違う別の世界を覗いてみたかったからだ。本当に軽い気持ちだった。でもいったん参加してみたら、「ただ覗いてみる」なんていう態度は大きく修正されて、激しくのめり込んでしまった。通いのはずなのに、汐留のホテルで合宿状態。3日間で5時間くらいしか寝られなかった。ケータイのメールも返信できないくらいに、ひとつのことしか考えられなかった。キツかったけど、それだけ得られる物も多かった。具体的な内容については守秘義務があるので語れないのだが、自分がそれを通じてどういうことを思ったかということはここに言語化しておきたい。

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posted by かっしー at 03:11| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月30日

茂木健一郎の講演会

今をときめく脳科学者、茂木健一郎が駒場で講演会をしていたので、途 中からだったが行ってきた。なかなか面白かったので、以下メモ。

・クオリア(quolia)……数字や文字では表せない、ある脳の信号。人はquoliaにプレミアムを認め、それなりの金を払う。高級ワインには高級ワインにしかないquoliaがある。

・偶有性(contingency)……半ば予想はつくけれど、半分は予想がつかない状態のもの。人間はこれに最も興奮する。現代を表す大きなキーワードらしい。

・脳の中では、記憶したものは引き出しのように入っているわけではない。長期記憶から長期記憶へと、頭の中で常に編集作業が行われている。

・「創造することは思い出すことに似ている」(by ある数学者)
 パスツールは、煮沸した水の中からは微生物は生まれないことを発見。
 創造性に関しても同じ。何もないところから生まれない。
 創造するとは、過去を思い出す作業。
 知っているけどあれなんだっけな…という感覚(feeling of knowing)に近い。

・ダニエル・カールマン(2002年のノーベル経済学賞受賞者)の行動経済学

・「誰が最初のペンギンになるか」
 ……みなリスクを恐れて飛び込みたくない。
 日本人は、最初のペンギンになるのが下手。

・Bowby:attachment theory
 子供は、大人の提供する安全基地があるからこそ、安心して未知なこ
とへ探索できる。

・文脈依存性ダイナミクス
 さまざまな文脈を空間や時間を切り離して考えることが出来る
  ← ITによる最も大きな変化

・創造性の現場には、多様性が保たれていなければいけない

●感想●
写真で見るだけだと、頭もじゃもじゃだし、なんかイっちゃった学者かと思っていたが、冗談も言うし、ひょうきんなところもあり、表情も豊かで、人間としてとても輝いている人だった。「クオリアを解明することが僕のライフワークだ」と言っている時の顔が一番良かった。
「ライフワーク」という言葉は、かっこいいね。

多様性から創造性は生まれる、とか、不確実性/偶有性の話は、ありきたりのよく言われる話だったが
なぜか、脳科学者に「もう科学的にそうなんだ」と言われると、新鮮な感じもあり、納得させられてしまう。
こういうことは哲学でも非常によく問題にされることだけれど、哲学的に言説を分析するよりも、よっぽど実証できるものとして、より説得力を持って、科学の最前線のことは切り込んでくるんだよな。
すごいよ、茂木さん。
posted by かっしー at 02:19| 東京 ☀| Comment(6) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月22日

巣鴨で御輿を担ぐ

 このまえの日曜日、大塚・巣鴨の商店街で祭りがあった。とある関係で、御輿を担ぐことになった。

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 ちゃんと足袋を履いて、ハッピを来て、手ぬぐいを頭に巻いて御輿を担ぐ。僕にとって、もちろん初めての経験だ。朝9時半から担ぎ始め、神社に行き、そこで神道の神にご挨拶して、神霊を乗せ、地元の商店街に帰ってくる、というコース。終わったのは、なんと夜の7時だった。もちろん途中で休んだり飲んだり食べたりするわけだが、それにしてもたくさん担いだ。本当にへとへとになった。僕は背が高い方なのでずっと腰を低い位置に保たなければならず、足がどんどん痛くなり、肩の皮膚も擦り剥けて、大変だった。でも、「ぇぃさ!ぇぃさ!」とかけ声を続けながら、汗だくになって盛り上がっていくのは、とてもおもしろい体験だった。

 祭りのエネルギーはすさまじい。大の大人が、大勢で熱狂して盛り上がっているのだから、それはそれだけでも壮観である。そういえば、祭りというのはそもそも江戸時代では、その日だけは無礼講、何をやっても許される、という日だった。それには、もちろん性的関係も含んでいたらしい。その日だけ、そういったあらゆる感情を爆発させる。自分を使い果たす。宵越しの金は持たない。今日の祭りでも、やはりそのような「exhaust」させる雰囲気があるし、つべこべ考えずにパァーっと盛り上がる単純な部分がある。

 もうひとつ思ったことは、商店街という文化の俗っぽさだ。商店街のコミュニティは、まさに地縁のシンボルと言える。同じ狭い地域に住む人々は、みんな何十年もの付き合いで、お互いのことをよく知っている。工務店をやっているというおっちゃんは、「金の有りかまでわかっちゃうから怖えんだよ」と言っていた。都会の中に残った、ムラ的共同体社会がここにはある。そして、自営業だからこそ、サラリーマンとは違った自由な気質がある。無機質なマニュアルなんかない。言葉も自由奔放。おばさんも、威勢のいい、ちょっと下品な言葉で盛り上がる。御輿に対する気合いの入れ方も半端ない。住宅地で育った僕にはあまり縁のなかった、俗っぽい世界だった。

 祭りは、自ら体を動かして参加しないと面白くない。ただ見ているだけよりも自分が参加すると、より一層祭りが楽しくなる。ただ、本当はそこに地縁的結合や日常のルーティーンというようなものがあると、よりさらに心の底から爆発させることができるのだろう。僕も、充分に楽しめたけど、やっぱり地元商店街の人のテンションはどこか違った。僕が担いでいる御輿の横で、だみ声で叫びながら飛び跳ねて盛り上げているおばちゃんなどを見て、そう感じさせられてしまった。
posted by かっしー at 16:18| 東京 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月12日

ひょうたんって、エロいね

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↑友達からもらったひょうたん
posted by かっしー at 18:26| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

選挙って、funnyですね

 わざわざ実家に帰って、選挙に行ってきた。

 選挙っていう行事は、なかなかfunnyだな、と投票所である近所の小学校に行った時に思った。うーん、funny。滑稽? 可笑しい? うん、まさにfunnyとしか言いようがない。どこか笑えてしまう。というのも、同じ地域に住む人が、同じ日に、とことこ歩いてか、自転車かで、えっちらおっちら同じ場所に集まって来るってことが、なんとなく滑稽なんだよね。もちろんその地域の全員ではないけど、今回の場合は約67%は来たということで、かなりの数にのぼる。なんだか、いい年こいた人達が、みんな徒歩かチャリンコで、しかもサンダルとか伸びきったTシャツを着て、わらわらと小学校や中学校に集まってきて、真面目に「衆議院」とか「最高裁判所裁判官国民審査」とかいう投票をしている。そんな光景に出くわして、おもわずなぜかプッと吹き出してしまったわけです。

 普段はお互いに干渉せず、全く別のことをしている住民たち。でも、選挙の日だけは拘束される。こういう行事は、他にはない。選挙も、自由参加と言ってしまえば確かに自由参加だが、選挙ほど人々の間には「行かなくては」という思いが強いイベントもない。だからこそ、67%も、どこからともなくわらわらとやってくるわけです。

 このfunnyさはどこから来るのか。たぶんそれは、「政治」と「大衆」という2つの大きな隔たりを感じたからでしょう。極度に単純化された文句の裏に何があるのかを知ろうとせず、自分の身の回りのミクロな生活世界から抜けられない大衆。一方で、単純なコピーをまくし立てて個人を扇動しつつも、マクロでしか物を語れない政治の世界。その両者の、絶対的に埋められない悲しすぎる乖離を、その選挙投票所の光景に感じたのでした。

 そして、もうひとつの原因は、おそらく有権者の「投票しなくては」という義務意識を肌で感じたからだと思います。なぜみんな、投票に行くのか。「一市民の意見を国政に訴えるんだ!」という志をみんな持っているからでしょうか。「ゲームとして、誰が勝つか面白いじゃん」と思ってるからでしょうか。どちらにしても、どこかfunnyです。参政権は、権利であります。義務ではない。しかし、権利の裏返しには必ず義務があります。では、参政権の裏返しの義務とは何なのか。これは自分も本気で考えているのですが、実際はよくわかりません。ただ、「参政権を行使するからには、その裏に隠された義務を果たそう」という意識を、どれだけの人が思っているのか。そういう熱烈な政治意識がある人はごくわずかでしょう。そして、彼らは必至に頑張っても、あんまり深く考えてなくて党首のイメージで投票する他の大多数と一票の価値は同じですから、かれらに埋もれてしまいます。そういうことを考えると、どこか笑えてきてしまったんです。この選挙というイベント自体が、フリ、演技、虚構。まさに「劇場」である気がして。

 そして、そんな批判を頭で考えながらも、やつらと一緒に投票していた俺もfunny、というオチ。
posted by かっしー at 01:28| 東京 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月02日

小笹芳央という人

 リンク&モチベーションという会社の社長である「小笹芳央」という人の話を聞く機会があって、おもしろかったので、メモ。

・「i-company」(自分自身がひとつの株式会社である)という考え方。つまり、経営に必要な用語をすべて自分自身のライフ設計に当てはめることができる。これによって自分自身をより明確に把握することができる。

・会社と個人双方がお互いを縛りつける感じだったのが、お互いがお互いを利用する自由な関係になりつつある。そういう時に「i-company」として自分を鍛え上げておけ。

・他人を動かすより、まず自分が動け。自分が変わる方が楽だ(隣の人の握っている手を無理矢理開こうとしても開かない。他人を動かすのは難しい。)

・「換えられるもの」にエネルギーを注げ。換えられない・無駄なものにエネルギーを注ぎ込んでもしょうがない。

(感想)
この人、普通のおっさんぽくて非常によかった。話し方もすばらしく、聴いている人にどんどん話しかけたり、簡単なゲームをさせたりと、全く飽きさせない。わかりやすいし、話の内容も濃い。特に「i-company」という考え方は非常におもしろく感じた。もやもやしていたものにガツンとスローガンを与えられた気分だった。

 でも、ひとつだけささやかに反論したことがある。「換えられるもの」にエネルギーを注げ、という話の中で、小笹さんはこんな具体例を挙げた。「エレベーターを待っている時に、その隣で、エレベーターを待ちきれず、もう既に押してあるボタンを何度も押してしまうおじさんがいることがある。そんな行為は、コンサル的に嫌みっぽく言えば、全く生産性に結びつかない無駄な行為で、ただ突き指のリスクがあるだけです(笑)」と言っていたのだが、僕はむしろ、こういう行為は決して全く無駄ではないと思うのだ。というのも、たしかに形ある生産性に結びつかないのはその通りであるけれども、そんな風にボタンを連打してしまったおじさんは、実は「ボタンを押すこと」を純粋に楽しんでいるのではないか。ボタンを押すことは、子どもがよくやりたがるように、それ自体でなかなか楽しいことだ。おじさんは、そんな子ども心を忘れずに、ただ純粋にボタンを押していただけなのでは。そうやって楽しめるというのは、隣でちょっとイライラしながらそれを横で見ている人よりも、よっぽど人生を楽しんでそうな感じがする。もちろんやるべき事があるのにそういう無駄なことに情熱を燃やしている人は論外だけれども、無駄なことにもいかに情熱を注げられるか、エンターテイメントの種を見つけられるか、というのは、幸せなを感じられる人生を送るために大事な要素だと思う。

 なんか屁理屈っぽいかな。僕はあまのじゃくなのかもしれない。「こうだったら絶対にこうなる」という論理の中で、どこかそれとは違う成り行きの可能性を探してしまう。その可能性は本当にわずかかもしれないけれども、できるだけ無視したくないんだよな。
posted by かっしー at 05:37| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月13日

チャリンコへの愛

 4日前に吉祥寺で友達と会っていて、ちょっと路上駐輪していたら、2時間後に自転車が消えていた……。夜だったので、こんな時間に武蔵野市が撤去するはずはない。あたりをぐるぐる探したけど、どこにも移動されていない。やばい、盗まれたか……と猛烈に凹んでました。ちょっと前に自分で大修理して、タイヤもチューブもブレーキワイヤーも取り替えたばかりだったのもあって、ここ数日は精神的にも肉体的にも経済的にも大ショックだったのですが、今日の昼間に再度吉祥寺に探しに行ったら、500mほど離れた駐輪場の端に置かれているのを発見! 行方不明になっていた我が子に会えた感動を味わいました。よかった。やっぱりこの子じゃなきゃ。マイチャーリーLOVE。ちなみに乗っている自転車は、LOUIS GANEAUのCASPER。2年前に購入。走行距離は計15000km。

 都内をチャリンコで駆けめぐるのは、本当に楽しいのだ。みるみるうちに景色が変わっていって、次々と知っている街並みに出くわす。実家に住んでいた頃は山手線内なんて電車でしか行かないから、たとえば有楽町なら有楽町という点でしか街を知らないんだけど、自転車を乗っていると「実は有楽町と築地は近いんだ」「ここを抜ければ半蔵門に行くのか」なんていう発見があって、点と点がつながれて東京を征服した気になるのです。こないだ寮の先輩にバイクの2ケツをさせてもらってラーメン食いに行ってバイクの爽快感も味わったけど、いやー、あそこまでのスピード感はいらないんですよ。適度な手軽さ。自分で操作できる安心感がいい。自転車は電車よりも早いし、気持ちよい。たまに雨などで電車に乗ると電車賃を払うのがバカらしくなってくる。車が多い時間帯は大変だけど、深夜のサイクリングは車も少なくて気持ちよい。そして、閑散とした中でのビルの夜景に感動したり、ホームレスのおっちゃんが必死に空き缶を集めている姿に出会ったり、飲みつぶれて路上で寝ているおじさんを起こしたりと、普段はなかなか見ない側面をのぞかせる。信号は周りの迷惑にならない程度に無視する時もある(そしてたまに怒られる)けど、僕の交通ポリシーは2つ。車道を逆走しない、歩行者にはやさしく。一日平均25kmくらい乗ってるけど、まだ無事故なのです。ええ、これからもゴールドカードでがんばります。
posted by かっしー at 04:21| 東京 🌁| Comment(3) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月25日

美容師さんと人生相談

 先日いつも髪を切っているところに行く時間がなかったので、よく前を通っているけどまだ入ったことのない美容室に行ってきた。下落合で、30代前半の男の人ひとりでやっている小さな店。夜12時までやっているという変わった店で、家庭教師のバイトが終わった夜11時頃に行ったのだが、そこで初対面ながら美容師さんといろいろな話をして、おもしろかった。

 突然「人生どうですか?」と聞かれてびっくりしたが、うーんと考えた後「就職するか大学で勉強を続けるかどうしようかと最近思ってますね」と答えたら、「やりたいことをとにかく必死にやり通せばいいよ」と言ってくれた。「一生懸命やれば、失敗しても成功しても是とできる」というのがその理由らしい。この手の話ならよく聞くし、そんな説教じみたことを…と半ば思ったが、この美容師さん、言うことが新鮮だった。

「お金をもうけたいと思う?」
「いやあんまり…」
「じゃあそこから変えてみようか。お金は、ないと何もできない。活動資金は何をやるにも大事。それが最終目的にはならないけど、見落としてはダメ。……体力ありますよね?」
「はい、あります」
「そうですよね、見ればわかります。もし経済的に無理というのがあるんだったら、睡眠時間を削って働くというのもひとつ。毎日8時間寝ている人がいたとして、睡眠時間を4時間にすれば、自由にあとの4時間を使える。10年あったら単純に1年半を何かに投資できる。それはすごいことだ」

うーん、なるほど。やっぱり、世の30代の人間はおもしろいな。世の中を知っているし、自分の身をどう振りながら生きていくかという問題に対して、ものすごく真摯。
posted by かっしー at 01:56| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月15日

能を観た

 能を観てきた。(5/14@宝生能楽堂)

 正午からの開演で、終演したのはなんと6時だった。途中抜け出したりもしたが、能の演目を3つ、狂言を
2つも見たことになる。野村萬斎なども出演していたから、かなり有名な役者が揃っていたのだろう。演目は、「金札」「誠願寺」「石橋」。狂言は「花争」と「二九十八」。

 率直に言おう。結構寝てしまった。聞き取れない、進むのが遅い、ストーリー性がない、スペクタクル性がない、同じようなことを延々と1時間半もやっている…… なんだかよくわからないことばかり。声は朗々としていて美しく、心に響いてくるけれど、そればかり6時間も聞いていると食傷気味になってしまう。能ってこういうものなのか、こんな世界があるのか、というのはわかったけれど、いまいち僕自身がその奥に踏み込めない感じで、また観に行きたいとはあまり思えないなぁ。

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posted by かっしー at 02:22| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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