2005年09月12日

選挙って、funnyですね

 わざわざ実家に帰って、選挙に行ってきた。

 選挙っていう行事は、なかなかfunnyだな、と投票所である近所の小学校に行った時に思った。うーん、funny。滑稽? 可笑しい? うん、まさにfunnyとしか言いようがない。どこか笑えてしまう。というのも、同じ地域に住む人が、同じ日に、とことこ歩いてか、自転車かで、えっちらおっちら同じ場所に集まって来るってことが、なんとなく滑稽なんだよね。もちろんその地域の全員ではないけど、今回の場合は約67%は来たということで、かなりの数にのぼる。なんだか、いい年こいた人達が、みんな徒歩かチャリンコで、しかもサンダルとか伸びきったTシャツを着て、わらわらと小学校や中学校に集まってきて、真面目に「衆議院」とか「最高裁判所裁判官国民審査」とかいう投票をしている。そんな光景に出くわして、おもわずなぜかプッと吹き出してしまったわけです。

 普段はお互いに干渉せず、全く別のことをしている住民たち。でも、選挙の日だけは拘束される。こういう行事は、他にはない。選挙も、自由参加と言ってしまえば確かに自由参加だが、選挙ほど人々の間には「行かなくては」という思いが強いイベントもない。だからこそ、67%も、どこからともなくわらわらとやってくるわけです。

 このfunnyさはどこから来るのか。たぶんそれは、「政治」と「大衆」という2つの大きな隔たりを感じたからでしょう。極度に単純化された文句の裏に何があるのかを知ろうとせず、自分の身の回りのミクロな生活世界から抜けられない大衆。一方で、単純なコピーをまくし立てて個人を扇動しつつも、マクロでしか物を語れない政治の世界。その両者の、絶対的に埋められない悲しすぎる乖離を、その選挙投票所の光景に感じたのでした。

 そして、もうひとつの原因は、おそらく有権者の「投票しなくては」という義務意識を肌で感じたからだと思います。なぜみんな、投票に行くのか。「一市民の意見を国政に訴えるんだ!」という志をみんな持っているからでしょうか。「ゲームとして、誰が勝つか面白いじゃん」と思ってるからでしょうか。どちらにしても、どこかfunnyです。参政権は、権利であります。義務ではない。しかし、権利の裏返しには必ず義務があります。では、参政権の裏返しの義務とは何なのか。これは自分も本気で考えているのですが、実際はよくわかりません。ただ、「参政権を行使するからには、その裏に隠された義務を果たそう」という意識を、どれだけの人が思っているのか。そういう熱烈な政治意識がある人はごくわずかでしょう。そして、彼らは必至に頑張っても、あんまり深く考えてなくて党首のイメージで投票する他の大多数と一票の価値は同じですから、かれらに埋もれてしまいます。そういうことを考えると、どこか笑えてきてしまったんです。この選挙というイベント自体が、フリ、演技、虚構。まさに「劇場」である気がして。

 そして、そんな批判を頭で考えながらも、やつらと一緒に投票していた俺もfunny、というオチ。
posted by かっしー at 01:28| 東京 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月10日

郵政民営化とネオリベラリズム

・アメリカの経済専門雑誌『ウォールストリート・ジャーナル』2005年8月8日号の記事に「郵政民営化法案は廃案となったが、これは手取りの時期が少し延びたに過ぎない。ほんの少し待てば、われわれは3兆ドルを手に入れることができる」との記述があった。

・アメリカからの対日要望書(アメリカ大使館のHPからダウンロードできる)に、「郵便保険会社・郵貯銀行の政府保有の株式完全売却」などの日本への要望が具体的に書かれている。

僕は一応、郵政民営化は賛成なんですが、民営化するにしても非常に多くの不安を感じています。郵政民営化は、規制緩和して市場経済の競漕原理に委ねるという新自由主義(ネオリベラリズム)の流れです。それが意味するところは、アメリカ的な自由競争社会の到来です。そしてアメリカのファンドは、上記のように、郵貯の巨大マネーを喉から手が出るほど欲しがっています。郵政民営化が「アメリカの言いなりだ」と言えるかはわかりませんが、少なくとも「アメリカ化」していく一環ではあります。

 先日僕が韓国に行って、韓国人と議論し、また韓国のことを勉強する中で感じたのは、韓国は日本よりもより明白にネオリベラリズムに席巻されているということです。大企業はより成長し、街もどんどん近代的に整備されていく一方で、失業率は上昇、貧富の差は拡大、大都市に集中・農村は過疎化していく。社会階層の固定化は必至。日本で最近よく言われる「勝ち組」「負け組」というのもその流れでしょう。うーん、それってどうなのよ。僕は、機会は平等に与えられて、それなりに自由な社会が良い社会だと思っているので、生まれた家が貧しかったから大学には行けない、みたいな固定化された社会には魅力を感じません。ネオリベラリズムは、あくまで強者の論理で進められている。「勝ち組」に都合がいいように社会が動かされている。そこに強い懸念を感じます。

でもですね、この先の見えない世の中で、たとえば郵政民営化に反対して、そのようなネオリベラリズムの流れに逆らうことに、あまり明るい展望を描けないんですよ。情けないことに。これが僕の消極的賛成の理由です。日本の国益を考えれば、自由化して民間が資産運用した方がいいだろうと(なんとなく)思っています。様々なブロガーの意見・分析を読んでいると、どうやら民営化した方がいいらしいことはわかる。ただ、その巨大マネーを引き受けた民間企業というのが、日本企業なのかどうかはわからないし、日本企業に投資するかもわからない。完全に民間に移行した段階で、外資投資企業に丸ごと買収される危険性も十分にある。投資会社のゴールドマン・サックスは、郵政民営化を意識してか、新しく8000億円の投資ファンドを立ち上げたらしい。むしろそういう危険性はかなり高いのでは……と思うと、かなり怖い。

要は、僕が言いたいのは、僕は諸手を挙げて郵政民営化に賛成するわけではないこと。とりあえず、世界中で起こっているアメリカ化の強い流れには逆らえなそうだ…という諦念と、それとは別のビジョンを自分で描けないもどかしさが猛烈にあること。そういうことです。
posted by かっしー at 04:44| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(2) | 語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月20日

「西大門刑務所」と反日ナショナリズム

 ソウルの「西大門刑務所歴史館」という所に行った時の印象が強烈だった。

 ここは、1910年以降の日本による朝鮮支配において、日本にさからって独立運動をした人々が捕らえられ、収容されていた刑務所だ。展示品は、日本帝国による占領がいかに残虐なものであったか、ということを強調する数々が並べられている。実際に蝋人形を使った再現風景がたくさんあり、日本人が女性の独立運動家に対して、爪と指との間に細い針を刺して拷問する場面や、血だらけになりながらもなお暴行をされつづける場面など、見ていてゾッとするものばかりだった。死刑場も残されており、薄暗い中にひっそりと絞首の紐がぶらさがっている木造建築は、何よりもリアリティがあった。死刑台は、床が外れる仕掛けになっている。死体はぶら下がった後、下に落とされ、それを回収するための地下室への階段や、外に運ぶための秘密のトンネルなどもあった。

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posted by かっしー at 04:14| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月19日

韓国と日本の近さ

 今回の旅で、韓国は本当に日本と似ていると思った。

 街を歩いていても、(看板がハングルで書かれてあることと、細い路地がたくさんあって、そこが少々キムチ臭いのを除けば)本当に日本の街を歩いているよう。もちろん顔つきとかファッションとかは若干違うけれども。経済的にも両国は似ている。お互い高度成長を遂げたけれども最近は停滞気味、という状況。(そして韓孫人は自国経済の不況について危機感を持ってる人が多かった。やはりIMF統治がよほどインパクトあるものだったのか)。国際的にも、両国は非常に似た立場にある。韓国も日本も、アメリカの軍事下にあってイラクに派兵しながらも、中国・北朝鮮との関係もあり……という状況だ(もちろん、韓国には「徴兵制」という大きな特徴はあるが)。そして、話す時のノリが似ている。英語で話していても、韓国語は日本語と語順が同じだから、英語の下手さ加減が日本人のそれとそっくりで、意味をくみ取りやすい。間の取り方、冗談、抑揚の付け方なども同じで、なんというか、すごく話しやすかった。これで言葉が隔たりなく話せたらなぁ、と何度も思った。だから帰ってきてからハングルを勉強し始めた。行く前にもっと勉強しとけばよかったけど、次に行く時に、がんばってもっといろいろ話したい。

 韓国人と、本当にいろいろなことを話した。中でも印象に残っているのは、むこうの武道をやっている韓国人がいて、禅の話から、無、空、気のことなどについて深夜まで話したことだ。彼は英語ができなかったけど、わりと英語ができる韓孫人の友達を間において、がんばって意思疎通をした。僕は茶道をやっているので、禅と茶道は精神的にも歴史的にも深い関係にあることを説明したら、彼からは格闘技の「気」について、実技も含めていろいろ教えてくれた。僕は武術についてはあまり詳しくなかったけれど、「無」という精神性の問題を共有でき、近い所に住む人間同士の文化のつながりを深く感じた夜だった。

 2日目の朝飯を食べた後に、元気なやつらであつまって、サッカー日韓戦をした。結果は2対1で日本の勝ち!やっぱスポーツはすごいな。一瞬にして仲良くなった。
posted by かっしー at 17:24| 東京 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月14日

帰国しました

韓国YMCA主催の「日韓共同未来プロジェクト」に参加してきました。日本・韓国それぞれ40人ほど集まり、ソウルから車で1時間ほどの田舎の大学寮に滞在して、様々なディスカッションや文化交流をしてきました。1週間しかなかったけれど、とても仲良くなりました。「差別」「貧困」「暴力」「生命」という4グループに分かれ、僕は「差別」グループで主に外国人労働者や障害者の実態を勉強してきました。実際に活動団体の方の話を聞いたり、フィールドワークにも行ったりと非常に密度の濃いプログラムでした。というか、毎晩朝から夜11時までみっちりプログラムが入っていて、もう最後の方はみんなへとへとで大変でした。

なによりも、同世代の韓国の人と仲良くなれたのがよかった。お互い英語もままならず、コミュニケーションは大変でしたが、本当に様々なことを話してきました。イラク派兵、歴史教科書問題、靖国神社、慰安婦問題、差別問題、ネット事情、勉強、大学生活、恋愛、フリーター問題、徴兵制、北朝鮮、村上春樹、日本の漫画、禅の無と空について、両国の経済について、などなど。楽しかったー 思ったことを、また別エントリーでいろいろ書いていきたいと思います。
posted by かっしー at 13:24| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月03日

韓国に行ってきます

 明後日から12日まで、韓国に行ってきます。

 僕の寮のYMCA関連のスタディツアーで、旅費はなんとほぼ全額タダです(どうやら韓国政府からお金が出ているらしい)。そのかわり自由時間はほとんどなくて、ソウルからバスで1時間ほどの街の大学寮で、現地の学生とディスカッションばっかりのプログラムです。向こうの学生と仲良くなってこようと思います。最近はそれにそなえてハングルをちょっと勉強しています。

 こないだ事前勉強会というのがあって、水道橋にある韓国YMCAに行ったのですが、この旅行の主催は韓国側なので、かなり韓国サイドの発言が主流を占めることがわかりました。なんというか、暗黙の言論の統制というか、ファシズム的なものを感じます。どうも僕は発言しにくいなぁ…… 旅行中にサッカーの日韓戦があるところも気になるところです。どちらかが大敗でもしたら、次の日の朝に気まずい雰囲気になるのでしょうか。なにはともあれ、楽しみです。

 では、アンニョイ ゲシプシオ!(行ってきます)
posted by かっしー at 13:45| 東京 ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月02日

小笹芳央という人

 リンク&モチベーションという会社の社長である「小笹芳央」という人の話を聞く機会があって、おもしろかったので、メモ。

・「i-company」(自分自身がひとつの株式会社である)という考え方。つまり、経営に必要な用語をすべて自分自身のライフ設計に当てはめることができる。これによって自分自身をより明確に把握することができる。

・会社と個人双方がお互いを縛りつける感じだったのが、お互いがお互いを利用する自由な関係になりつつある。そういう時に「i-company」として自分を鍛え上げておけ。

・他人を動かすより、まず自分が動け。自分が変わる方が楽だ(隣の人の握っている手を無理矢理開こうとしても開かない。他人を動かすのは難しい。)

・「換えられるもの」にエネルギーを注げ。換えられない・無駄なものにエネルギーを注ぎ込んでもしょうがない。

(感想)
この人、普通のおっさんぽくて非常によかった。話し方もすばらしく、聴いている人にどんどん話しかけたり、簡単なゲームをさせたりと、全く飽きさせない。わかりやすいし、話の内容も濃い。特に「i-company」という考え方は非常におもしろく感じた。もやもやしていたものにガツンとスローガンを与えられた気分だった。

 でも、ひとつだけささやかに反論したことがある。「換えられるもの」にエネルギーを注げ、という話の中で、小笹さんはこんな具体例を挙げた。「エレベーターを待っている時に、その隣で、エレベーターを待ちきれず、もう既に押してあるボタンを何度も押してしまうおじさんがいることがある。そんな行為は、コンサル的に嫌みっぽく言えば、全く生産性に結びつかない無駄な行為で、ただ突き指のリスクがあるだけです(笑)」と言っていたのだが、僕はむしろ、こういう行為は決して全く無駄ではないと思うのだ。というのも、たしかに形ある生産性に結びつかないのはその通りであるけれども、そんな風にボタンを連打してしまったおじさんは、実は「ボタンを押すこと」を純粋に楽しんでいるのではないか。ボタンを押すことは、子どもがよくやりたがるように、それ自体でなかなか楽しいことだ。おじさんは、そんな子ども心を忘れずに、ただ純粋にボタンを押していただけなのでは。そうやって楽しめるというのは、隣でちょっとイライラしながらそれを横で見ている人よりも、よっぽど人生を楽しんでそうな感じがする。もちろんやるべき事があるのにそういう無駄なことに情熱を燃やしている人は論外だけれども、無駄なことにもいかに情熱を注げられるか、エンターテイメントの種を見つけられるか、というのは、幸せなを感じられる人生を送るために大事な要素だと思う。

 なんか屁理屈っぽいかな。僕はあまのじゃくなのかもしれない。「こうだったら絶対にこうなる」という論理の中で、どこかそれとは違う成り行きの可能性を探してしまう。その可能性は本当にわずかかもしれないけれども、できるだけ無視したくないんだよな。
posted by かっしー at 05:37| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「善」とは何だろう(こないだの続き)

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 前のエントリーでは、とりあえず「人類全体の繁栄と存続が善である」という命題を、疑いなき前提として話を進めました。しかし、この前提は本当に妥当でしょうか。数日経って考えてみると、「人類」などという言葉は大袈裟すぎるように感じます。「今、生きている人間が無事幸せに生きられるということが善である」と言った方がいいかもしれません。そのロジックでいくと、「今生きている人間」というのは瞬間瞬間で更新されていくものであるから、未来にそのための最適な環境を作っていくことは善です。すなわち「人類の存続は善である」というのは内包されます。「無事幸せに生きる」とはどういうことかというと、(非常に抽象的ですが)日常的に死の不安がないような安全な生活のこと、また、自己実現の機会を可能な限り保障されている世界、とでも言えるでしょうか。

 もうひとつ、先の命題で訂正すべきだと思ったのは、人類の「繁栄」という部分です。「繁栄」とは何でしょうか。20世紀までの視点でみれば、人類は永久に発展していくという進歩史観が優勢だったと思いますが、時代が21世紀になり、もうこれ以上あくなき「発展」を追い求めると、人類全体にとって不幸につながりかねないという見方が強くなってきた。「持続可能な開発(sustainable development)」とはそのような考え方でありました。それをもう一度深く見つめてみたいと思います。
posted by かっしー at 04:57| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月30日

舞台「王女メディア」(ク・ナウカ)

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 とにかくすごかった。こんな演劇は初めてだ。

 設定は日本の明治時代。はじめに男が出てきて、並んでいる女の俳優を選んでいく。男は後ろにいて、声だけの出演。女は、能のように無表情で、前の舞台でその役を演じる。後ろでは、民族的な太鼓や笛、鈴の音。この音楽が、劇の雰囲気に合わせて激しく響きわたる。王女メディアは、自分の元夫への復讐のために自分の息子を殺す。話はあまりに悲劇的だが、「悲劇」という面はそれほどクローズアップせずに、美と迫力と、自立していく女の姿が強調される。そして最後には、男が女にやらせているというメタ演劇の構図が逆転する。今まで着物を着てつつましくお酌をしていた女達が、いっせいに着物を脱ぎ捨て、真っ赤なワンピースになって、支配的だった男達に逆襲する。「女」が「男」に支配されるという構図を、最後に1人の女として自立して復讐を遂げることで、見事に打ち破る。その情念とエネルギーはすさまじい。そしてさらに、そこにはもうひとつ、「日本」と「朝鮮」という構図も隠されている。主人公の王女メディアは、チマチョゴリを着ていた。支配的なものに対して復讐の念をあたためつづけ、それを昇華させる瞬間は、恐ろしすぎる美しさだった。

 演技しているのは全く無表情の女性である。女役でも、声は低い男の声。だから基本的に、見ていて役に感情移入はしない。それでもここまで圧倒され、心がいっぱいになるのは、圧倒的な美と迫力のゆえだろう。僕にとって、全く新しい悲劇だった。もしかしたら、能楽のスペクタクル性と似ているかもしれない。アリストテレスの言う「おそれとあわれみ」から「感情の浄化(カタルシス)」を得る悲劇ではなくて、圧倒的な美と迫力のうちに、畏敬の念と神聖な気持ちを呼び起こすものである。エイコス(筋)やロゴス(言葉・理性)でなく、パトス(情念)による演劇なのだ。それはまさに「生」でしかできない体験だった。当日券で滑り込んだけど、観てよかった。ちょうど行った公演にテレビカメラが入っていたけど、あれをテレビで観てもこの興奮は得られないだろう。

 「無表情」というのは本当に恐ろしい。瞬きもせず、口も開けず、人形のように無機質に動いていく。そんなことは現実ではまずあり得ない。観ている間ずっとそんな違和感と恐ろしさを感じ続けていた。そうしたら、最後カーテンコールに出てきた時に、がらっと変わって役者がみんな柔らかい笑顔で出てきてお辞儀をしていた。どこかホッとするとともに、にくい演出だと思った。
posted by かっしー at 03:35| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(1) | 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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